生涯
- 王檀、字は衆美、京兆の人。若くして梁太祖に仕え小校となった。尚讓が梁を攻め尉氏門で戦った際、檀の勇は諸将に勝り、太祖はこれを奇とし踏白副指揮使に遷した。朱珍に従い東方で募兵し戦にしばしば功があった。梁と蔡の兵が板橋で戦った際、李重裔が馬を躓かせ蔡兵に捕らえられそうになると、檀は馳せてこれを救い、併せてその将一人を捕らえた。太祖に従い魏の内黄を破り、衝山都虞候に遷った。また朱珍に従い徐州を攻め、檀はその将一人を捕らえた。梁兵が王師範を攻めた際、檀は一軍でその密州を破り密州刺史を拝した。太祖の即位後、保義軍節度使・潞州東北面招討使に遷った。王景仁が柏郷で敗れ晋兵が邢州を囲んだ際、太祖は大いに恐れ自ら救援に赴こうとしたが、檀はこれを止め自ら敵に当たることを請い、力戦してついに邢州を全うした。功により同中書門下平章事を加え、瑯琊郡王に進封された。友珪の代に宣化に鎮を移され、貞明元年(915年)にはまた匡国に移った。この時荘宗が魏博を取り、檀は晋兵がすべて河北にあると考え、奇兵で西の陰地から出て太原を襲ったが克たずに戻り、天平に鎮を移された。檀はかつて亡命者や盗賊を招き帳下に置いていたが、その帳下の兵が乱を起こして入り檀を殺した。享年五十八、太師を追贈され諡を忠毅とされた。