資治通鑑唐紀 懿宗昭聖恭惠孝皇帝上 咸通八年 八年 747年
正月・魏博人事
二月・張義潮入朝と海路整備
- 二月、帰義節度使張義潮が入朝し、右神武統軍に任じられた。
- 沙州方面の守りは一族の張惟深に委ねられた。
- いっぽう安南から邕州・広州へ至る海路には潜石が多く、舟の転覆が相次いでいたため、静海節度使高駢は工人を募ってこれを鑿たせ、漕運の滞りを除いた。
西川辺境の六姓蛮
- 西川近辺の六姓蛮は、平時には服属を称し、戦時には真っ先に敵に回るという日和見の勢力だった。
- その中で卑籠部だけは唐に尽くし、他の蛮部と敵対していたため、朝廷は李姓を賜り刺史に任じた。
- 劉潼は将を遣わしてこれを援け、六姓蛮を討って部落を焼き、首級五千余を得た。
三月・楽工李可及の昇進
- 楽工李可及は新しい楽曲づくりに巧みで、懿宗はこれを寵愛し、左威衛将軍に任じた。
- 曹確は、太宗が官を天下の賢士に与えるべきで工商雑流を高官に置くべきでないとした故事や、文宗が楽工尉遅璋を王府率にしようとして諫めにより改めた例を引き、別の官にすべきだと諫めた。
- 懿宗は聞き入れなかった。
四月から五月・病と大赦
- 四月、懿宗は病にかかり、群臣の進見はまれになった。
- 五月丙辰、天下の繋囚を査定し、大悪人を除いて一等ずつ減刑した。
七月・蘄王薨去と懐州民乱
- 七月、蘄王緝が薨去した。
- 懐州で旱害に苦しむ民が訴えようとしたところ、刺史劉仁規が掲示でこれを禁じたため、民衆は怒って蜂起し、劉仁規を逐った。
- 劉仁規は村舎に逃れ、民は州宅に入ってその家財を掠め、楼に登って鼓を打ち鳴らした。騒ぎは長引いたが、やがて鎮まった。
七月・于琮入相
- 甲子、兵部侍郎で塩鉄転運等使の于琮が宰相となった。
華嶽廟祈禱事件と楊収再失脚
- 宣歙観察使楊収が華岳廟を通過した際、衣物を施して巫に祈らせたところ、県令がこれをもって楊収の罪と誣告した。
- 右拾遺韋保衡はさらに、楊収が以前宰相時に厳譔を江西節度使とする見返りに百万銭を受け取り、また造船務を置いて財を侵したと弾劾した。
- 八月、楊収は端州司馬に左遷された。
九月・懿宗病快復
十二月・諸王と韋宙昇進
- 十二月、信王㳟が薨去した。
- 嶺南東道節度使韋宙には同平章事が加えられた。