資治通鑑唐紀三十一 玄宗 天寶二年 二年 743年
正月:安禄山の入朝と祥瑞の誇示
- 安禄山が入朝し、玄宗からきわめて厚遇された。
- 祿山は、前年に営州で虫害が起きた際、自分が忠誠を誓って祈ると群鳥が飛来して害虫を食い尽くしたと述べ、その記録を史官に付すよう求め、玄宗も認めた。
選事汚職の発覚
- 李林甫は吏部尚書を兼ねたが、実際の選事は宋遥・苗晋卿に委ねていた。
- 新たに玄宗の寵を得た御史中丞張倚に取り入ろうとして、選人の成績上位者六十四人を選んだ際、その子張奭を首位にしたため、世論が沸騰した。
- 前薊令の蘇孝韞がこの不正を安禄山に告げ、祿山は玄宗に直奏した。
- 玄宗が合格者を面試すると、張奭は終日一字も書けず、「曳白」と嘲られた。
- その結果、宋遥・苗晋卿・張倚は地方へ左遷され、同考判官らも嶺南に流された。
三月:李氏祖先への追尊
- 玄宗は玄元皇帝の父を「先天太皇」と追尊し、さらに李氏の始祖とみなした皋繇を「徳明皇帝」、西涼の武昭王李暠を「興聖皇帝」と尊んだ。
韋堅の広運潭と漕運の演出
- 韋堅は滻水を禁苑東の望春楼下まで引いて大きな潭を造り、江淮からの運船を集めた。
- 工事のために多くの人夫・工匠を駆り出し、墓を壊すことすらあって、江淮から京城に至る民間には怨嗟が広がった。
- 丙寅、玄宗が望春楼から新潭を見物すると、韋堅は数百艘の新船に郡名を掲げ、各地の特産・珍貨を満載して並べた。
- 崔成甫が前導して「得宝歌」を歌わせ、美しく装った婦人百人に唱和させるなど、盛大な見世物とした。
- 玄宗は終日宴を張って楽しみ、見物人で大混雑となった。
- この功により、韋堅は左散騎常侍に昇進し、潭は「広運」と名づけられた。
- 同時に京兆尹韓朝宗も渭水を引いて西街に貯木用の潭を造った。
吐蕃との戦い
- 四月、皇甫惟明は隴右方面から千里以上進軍し、洪済城を攻め落とした。
- これは河源・青海方面の戦線における前進であり、唐はなお吐蕃に対して攻勢姿勢を保っていた。
楊慎矜の昇進辞退と再任
- 玄宗は楊慎矜に御史中丞の職掌を委ねようとしたが、李林甫が専権し、林甫の門を通らない昇進者は排除される状況を慎矜は恐れ、固辞した。
- 五月、慎矜は諫議大夫に任じられた。
冬:温泉行幸
- 十月、玄宗は驪山温泉へ行幸し、乙卯に帰還した。滞在は長期にわたり、享楽にふける様子がうかがえる。