正月 改元と人事
- 正月乙酉朔、天下に大赦を行い、年号を仁寿と改めた。
- 楊素を左僕射、蘇威を右僕射とした。
- 丁酉、河南王楊昭を晋王に移封した。
突厥の侵攻
- 突厥の歩迦可汗が塞を犯し、代州総管韓洪を恒安で破った。
- 晋王昭が内史令となった。
二月 日食
夏五月 突厥の大規模降附
六月 巡察使の派遣と学校整理
- 六月乙卯、十六使を派遣して風俗を巡察させた。
- 乙丑、天下の学校は生徒が多すぎて精選されていないとして、国子学生七十人だけを残し、太学・四門学および州県学をすべて廃止した。
- 殿内将軍の劉炫が強く諫めたが、文帝は聞き入れなかった。
七月 太学の復称
符瑞の横行
- 文帝は周から禅譲を受けた直後、民心が服していないことを恐れ、祥瑞を多く称揚して威光を示したため、偽造の符瑞を献じる者が数えきれないほど出た。
冬十一月 南郊祭祀
- 十一月己丑、南郊で大規模な祭祀を行い、封禅に似た礼を用いた。
- 板文には前後の祥瑞がことごとく記され、天への報謝とされた。
山獠の乱と衛文昇
- 山獠が乱を起こしたため、衛尉少卿の衛文昇を資州刺史として派遣し、鎮撫にあたらせた。
- 文昇は着任早々、大牢鎮を攻める獠の陣へ単騎で乗り込み、自分は天子の詔を帯びて民を安んずるために来たのだと告げて恐れさせず、利害を説いて解兵させた。
- 前後して帰附した者は十余万口にのぼり、文帝は大いに喜んで彼に縑二千匹を賜り、のち遂州総管に任じた。
南方諸州の獠反乱と馮盎
- 潮・成など五州で獠が反乱を起こした。
- 高州の酋長馮盎が京師へ急行して討伐を請い、文帝は楊素にその見識を示させた。楊素は、蛮夷の中にこのような人物がいるとは思わなかったと感嘆し、江南・嶺南の兵を彼に与えて討たせた。
- 事が平定すると、馮盎は漢陽太守に任じられた。
北方遠征の準備
- 文帝は楊素を雲州道行軍元帥とし、長孫晟を受降使者として、啓民可汗を伴い北上し、歩迦可汗を討たせた。