資治通鑑宋紀十六 順皇帝 昇明二年 478年

正月・郢城攻防の継続

  • 正月己酉朔、百官は戎服で朝に入った。
  • 沈攸之は精鋭を尽くして郢城を攻めたが、柳世隆は隙を見てたびたびこれを破った。
  • 蕭賾は桓敬ら八軍を西塞に置き、郢城への援軍の気配を示して世隆を支えた。

范雲の使節と攸之軍の動揺

  • 攸之は郢府法曹の范雲を捕え、武陵王贊への手紙と食料を持たせて城中へ送らせた。手土産は犢一頭と羊一頭、柳世隆には首を落とした魚三十尾だった。
  • 城中では范雲を殺そうとしたが、雲は「老母と弱い弟の命が沈氏に懸かっている。命に背けば一族に禍が及ぶ」と訴え、死を甘受する覚悟を示したため、赦された。

武昌・西陽方面の戦い

  • 攸之は皇甫仲賢を武昌へ、公孫方平を西陽へ向かわせた。
  • 武昌太守臧渙は攸之に降り、西陽太守王毓は湓城へ逃れた。
  • 方平は西陽を占拠したが、豫州刺史劉懐珍が張謨ら一万を派遣して討たせ、辛酉、方平は敗走した。
  • 平西将軍黄回らも西陽に到着し、流れをさかのぼって進軍した。

攸之軍の離反拡大

  • 政略以前から沈攸之は人心を得ておらず、出兵当初から逃亡兵があった。郢城攻撃が三十日を超えても陥ちないため、離脱者はさらに増えた。
  • 攸之は毎日、馬で諸営を巡って慰撫したが効果はなく、ついに諸軍主を集めて、勝てば白紗帽を共にかぶり、敗れれば自分の一族だけが誅せられる、他人には及ばぬと叱咤した。
  • さらに今後逃亡兵が出た場合は軍主に責任を負わせると命じたが、かえって一人逃げれば追手まで帰らず、誰も報告できない有様となり、軍全体に異心が広がった。

劉攘兵の降伏と総崩れ

  • 劉攘兵は矢文を城中へ入れて降伏を申し出、柳世隆は城門を開いて受け入れた。
  • 丁卯夜、攘兵は陣営に火を放って去った。軍中は火を見て争って甲を脱ぎ、将帥も止められなかった。
  • 攸之は怒って自らの鬚を噛み、攘兵の兄の子天賜と女婿張平虜を殺した。
  • 夜明けに攸之は軍を率いて長江を渡り魯山へ退いたが、軍はそこで完全に瓦解した。
  • 諸将は皆逃げ、臧寅だけは「成功だけに乗って失敗で捨てるのは忍びない」と言って入水した。
  • 攸之のもとには数十騎しか残らなかったが、江陵に戻れば財物があるとして敗兵を誘い、なお二万ほどが集まって随従した。

江陵陥落と沈攸之の最期

  • 張敬児は、早くから攸之の下行を偵察しており、使者を斬って以後ただちに兵を整え、江陵を襲った。
  • 攸之は子の元琰と江乂・傅宣らに江陵守備を命じたが、張敬児が沙橋まで来ると、城中では夜の鶴の声を官軍来襲と誤認して恐慌となり、江乂・傅宣は城門を開いて逃げた。
  • 元琰は寵洲へ逃れたが殺され、張敬児は江陵に入って攸之の二子四孫を誅した。
  • 攸之は江陵まで百余里の地点で、すでに城が張敬児に取られたと知り、従者も散じ、子文和とともに華容界の櫟林で縊死した。
  • 己巳、村民がその首を斬って江陵へ送った。張敬児はそれを楯に載せ青繖で覆い、市中を引き回してから建康へ送った。
  • 張敬児は攸之一党を誅し、その財物数十万を没収して私蔵した。
  • 城中に残っていた辺栄は、かつて録事に辱められた際、攸之がその録事を鞭殺してくれた恩を忘れず、張敬児への降伏を勧められても拒んだ。捕らえられると平然と死につき、客分の程邕之もまた主人に殉じて先に斬られた。兵士たちは皆涙した。
  • 孫同・宗儼之らも誅された。

解厳と戦後人事

  • 丙子、戒厳は解かれ、柳世隆が尚書右僕射となった。
  • 蕭道成は東府へ戻り、丁丑には蕭賾を江州刺史、蕭嶷を中領軍にした。
  • 二月庚辰、王僧虔が尚書令、王延之が左僕射となった。
  • 癸未、蕭道成は太尉・都督十六州諸軍事に進み、褚淵は中書監・司空となった。
  • 道成は黄鉞を返上する表を上げた。
  • 吏部郎王儉は若くして宰相の器と評されており、道成はこれを太尉右長史に抜擢して密事をすべて任せた。

北魏・代湯泉行幸と宕昌

  • 丁亥、北魏主は代の湯泉へ行幸し、癸卯に還った。
  • 宕昌王彌機が新たに立つと、三月丙子、北魏は使者を遣わして征南大将軍・梁益二州牧・河南公・宕昌王に封じた。

黄回の南兖州転任とその不穏

  • 黄回は郢州勤務を喜ばず、部曲を率いて勝手に帰還した。
  • 朝廷はやむなく辛卯、南兖州刺史・都督南兖等五州諸軍事に転じたが、胡注はこの時点で黄回はすでに死地へ向かっていたとみる。

湘州の混乱

  • 王蘊が湘州を去った後、南陽王翽はまだ赴任せず、長沙内史庾佩玉が府州を代行していた。
  • 先に派遣されていた韓幼宗と佩玉は不和で、沈攸之の反乱が起こると互いに疑い、佩玉は幼宗を襲って殺した。
  • 黄回が郢州に着くと、任候伯を湘州へ派遣して州務を取らせたが、候伯は自分の罪を軽くしようとして佩玉を殺した。
  • のち湘州刺史となった呂安国には、蕭道成から任候伯誅殺の命が下った。

四月・黄回誅殺

  • 四月、北魏主は崞山へ行幸し、まもなく還った。
  • 蕭道成は、黄回はいずれ禍をなすと見ていた。部曲数千を抱えていたので逮捕に手間取れば乱になることを恐れ、辛卯に東府へ召し出した。
  • 停外斎に至ると、桓康に数十人を率いさせて黄回の罪を数え、その場で殺した。子の僧念もともに誅された。
  • 甲午、蕭映に南兖州を代行させ、弟の蕭晃をその後任とした。道成が京畿に近い淮南・宣城を他人に任せなかったことも、権力基盤の固め方を示す。

北魏・婚姻規制と王叡の重用

  • 五月、北魏は皇族・貴戚および士民の家について、家格を無視して身分不相応の婚姻を結ぶことを禁じ、違反は制令違反で論じるとした。
  • 北魏主と馮太后が虎圏に臨んだ際、虎が逃げ出して閣道に登り、御座に迫った。侍衛が恐れて退く中、吏部尚書王叡だけが戟を取ってこれを防いだ。
  • 太后はこれを忠義として賞し、いっそう親任した。胡注は、これも公的理由を装って私的寵愛を深めた例としている。

北秦州・武都王

  • 六月丁酉、楊文弘を北秦州刺史・武都王とした。
  • 庚子、北魏の皇叔若が死んだ。

蕭道成の奢侈抑制

  • 秋八月、蕭道成は大明年間以来の公私の奢侈を改めるため、御府を廃し、二つの尚方を省いて彫飾の器玩を削減するよう奏上した。
  • 辛卯にはさらに民間の華美で無益な器物・服飾を禁じる十七条を上奏した。金銀の箔や馬具、織成・刺繍の衣、錦の履、紅色の幡蓋、金銀製の花獣文様、私的武器製作、仏像鋳造などを広く禁じた。

蕭氏政権への移行準備

  • 乙未、蕭賾を領軍将軍、蕭嶷を江州刺史とした。
  • 九月乙巳朔、日食があった。
  • 蕭道成は時望ある人物を引き入れようとして、夜に謝朏を呼んで密談したが、謝朏は終始口を開かなかった。
  • 王儉はこれを察し、日を改めて道成に対し、功高き者に賞がない例は古来まれであり、今の地位で永く臣下にとどまれるのかと問い、宋氏の徳は尽きており、少しでもためらえば人心が離れると説いた。
  • 道成は表向き厳しい顔をしたが、内心ではこれを受け入れた。
  • 王儉は、まず褚淵に知らせるべきだと進言し、自らその役を願った。
  • 道成が褚淵のもとへ行き、「夢に官を得る兆しがあった」と言うと、淵は今の官位でも十分で、近いうちの昇進はあるまいと答えた。
  • 道成がこれを王儉に伝えると、儉は「理をわかっていないだけ」と言い、自ら主導して道成に太傅・黄鉞・大都督中外諸軍事などを加える議を起こさせた。
  • 任遐は、この大事は褚淵に通じるべきだと勧めたが、道成が躊躇すると、任遐は「褚淵なら自分が抑えられる」と言い、実際、淵は異議を唱えなかった。
  • 丙午、詔により道成は太傅・大都督中外諸軍事・領揚州牧となり、黄鉞を仮され、剣履上殿・入朝不趨・賛拝不名の殊礼を得た。もとの使持節・太尉・驃騎大将軍・録尚書・南徐州刺史はそのままとされた。
  • 道成は殊礼を辞したが、受け入れられた。
  • 揚州刺史の晉熙王爕は司徒となった。
  • 戊申、道成は蕭映を南兖州刺史にした。

年末の処断と北魏の粛清

  • 十月、蕭晃が豫州刺史となった。
  • 己卯、逃亡していた孫曇瓘が捕えられて殺された。
  • 北魏からは員外散騎常侍鄭羲が来聘した。
  • 壬寅、皇后謝氏が立てられた。謝荘の孫である。
  • 十一月、臨澧侯劉晃が謀反で誅され、党与も処刑された。劉秉の従子にあたる。
  • 甲子、南陽王翽は隨郡王に移された。
  • 北魏では馮太后が青州刺史南郡王李惠を、高祖の外戚であるがゆえに忌み、南朝へ叛こうとしていると讒して、十二月癸巳に李惠とその妻、子弟を誅した。李惠は赴任先ごとに善政を行っていたため、魏人はとくにこれを冤罪として惜しんだ。

王僧虔の礼楽再建建議

  • 尚書令王僧虔は、朝廷の礼楽が古典に合わなくなっていると上奏した。
  • 大明年間以来、宮県の雅楽に鼙舞や拂舞などを混用しているが、拍節は合っても雅正の体を損なう恐れがあると指摘した。
  • また、清商楽は魏の三祖以来の遺音であり、中庸・和雅という点ではこれに及ぶものは少ないが、近年次第に散逸し、半ば以上失われつつあるとした。
  • 民間では新声・雑曲が際限なく流行しているので、有司に命じて古楽の補修再編を進めるべきだと論じ、朝廷はこれに従った。

北魏・高允の再召

  • この年、北魏の懐州刺史高允は老病を理由に郷里へ帰ったが、ほどなく安車で平城へ徴され、鎮軍大将軍・中書監に任じられた。
  • 高允は固辞したが許されず、車に乗ったまま殿に入り、朝賀でも拝礼を免ぜられた。