資治通鑑宋紀十五 蒼梧王 元徽 三年 475年

正月〜三月 祭祀と張敬児の雍州赴任

  • 正月辛巳、帝は南郊と明堂で祭祀を行った。
  • 蕭道成は、襄陽のような重鎮に張敬児のような家格の軽い者を置きたくなかったが、敬児はかねて約束もあり強く希望した。
  • 敬児は、沈攸之が荊州で何を企んでいるか道成は知っているはずで、自分を外に出して内外から牽制しなければ道成の利益にならないと迫った。
  • 三月己巳、張敬児を都督雍・梁二州諸軍事・雍州刺史とした。
  • 沈攸之は、敬児が向かってくると知って襲撃を恐れ密かに備えたが、敬児は赴任後、極めて恭順に振る舞い、事あるごとに沈攸之へ相談し、贈り物も絶やさなかった。
  • 攸之はこれを真実の忠誠と思い、しだいに信用した。境上での遊猟会合まで望んだが、敬児は人の目をひくので控えるべきだと断った。
  • 敬児は攸之の事情をすべて密かに蕭道成へ報告した。
  • 道成は攸之に書を送り、張雍州の後任には誰を考えているかと尋ねた。攸之はこれを敬児に見せ、疑心を起こさせて離間しようとしたが、かえって自らの油断を深めることになった。

五月〜六月 北魏の動き

  • 五月丙午、北魏主は員外散騎常侍許赤虎を再び宋へ派遣した。
  • 丁未、魏主は武州山へ、辛酉には車輪山へ赴いた。
  • 六月庚午、北魏は初めて牛馬の屠殺を禁じた。農耕と軍事の資源を守るためである。

夏〜秋 袁粲・褚淵の辞譲

  • 袁粲と褚淵はいずれも新官を固辞した。
  • 七月庚戌、なお袁粲を尚書令に復した。
  • 八月庚子、褚淵に中書監を加えた。

冬 景素への疑いの深まり

  • 十二月丙寅、北魏は建昌王長楽を安楽王に改封した。
  • 己丑、城陽王長寿が死去した。
  • 宋では南徐州刺史の建平王景素が、孝友・清廉・倹素で文学を好み、士大夫に礼を尽くしたため、美名が高かった。
  • 太宗は特に彼を愛し、厚遇していた。今や太祖の子らは尽き、その孫では景素が最年長であり、蒼梧王は凶暴で徳を失っていたため、朝野の期待は自然と景素へ向かった。
  • 帝の外家の陳氏は景素を深く憎み、楊運長・阮佃夫らも長君が立てば専権できないとして、これを除こうとした。
  • 景素の腹心将佐の多くは挙兵を勧めたが、鎮軍参軍の江淹だけは反対した。
  • この年、防閤将軍王季符が景素の怒りに触れて単騎で建康へ逃げ、景素が反乱を企てていると訴えた。
  • 楊運長らはすぐにも討とうとしたが、袁粲と蕭道成は不可と判断した。
  • 景素も世子延齢を宮中へ送って自ら弁明したため、朝廷は王季符を梁州へ移し、景素から征北将軍・開府儀同三司を奪うにとどめた。