春二月:趙慈の反乱
- 春二月、江夏兵の趙慈が反乱し、南陽太守の秦頡を殺した。
- 庚戌、天下に大赦があった。
太尉人事と趙忠の軍功査定
- 太尉の張延が罷免され、使者が長安へ赴いて張温を太尉に任じた。三公が外地で任命されるのはこれが初めてであった。
- 中常侍の趙忠は車騎将軍となり、黄巾討伐の功績査定を任された。
- 執金吾の甄挙は趙忠に、傅燮は東方戦線で功があったのに侯に封じられておらず、人望を失わせていると説いた。
- 趙忠はいったんこれを受け入れ、弟の城門校尉趙延を通じて傅燮に恩義を示そうとしたが、傅燮は「功があって報いられないのは天命であり、私恩で求めるものではない」ときっぱり拒んだ。
- 趙忠はさらに恨んだが、名望を恐れて害せず、傅燮を漢陽太守に出した。
宮廷工事の拡大
- 皇帝は鉤盾令の宋典に南宮玉堂の修築を命じ、掖庭令の畢嵐には四体の銅人と四つの大鐘の鋳造を命じた。鐘はいずれも二千斛を容れる大きさだった。
- さらに平門外の橋東に天禄・蝦蟇の吐水装置を造り、水を宮中へ送らせた。
- 橋西には翻車・渇烏を設け、南北郊へ向かう道路に散水し、民に水をまかせる費用を省いたつもりでいた。
五月・六月・冬:趙慈平定と人事
- 五月壬辰晦、日食があった。
- 六月、荊州刺史の王敏が趙慈を討って斬った。
- 車騎将軍の趙忠は罷免された。
- 冬十月、武陵蛮が反乱したが、郡兵が討って平定した。
- 以前の太尉張延は宦官の讒言で下獄され、死んだ。
- 十二月、鮮卑が幽州・并州に侵入し、張温が京師へ召還された。