春正月から五月 封王
- 正月、天下に大赦があった。
- 二月には日食が起こった。
- 五月、皇弟の寿を済北王、開を河間王、淑を城陽王に封じた。いずれも旧来の漢の王国を復興したものである。
- また、故淮陽頃王の子の側を常山王に封じて家を継がせた。
二月以後 伊吾奪還と西域情勢
- 竇憲は副校尉閻礱に二千余騎を与え、北匈奴が守っていた伊吾を奇襲させて、その地を奪回した。
- 車師の諸王は震え、前後してそれぞれ子を入侍させた。
西域 月氏の大軍を班超が退ける
- 月氏は漢との婚姻を求めたが、班超がその使者を拒んで帰らせたため、恨みを抱いた。
- 月氏は副王謝に七万の兵を授けて班超を攻めさせた。兵少なく将兵は恐れたが、班超は、遠く蔥嶺を越えて来た敵に持久戦能力は乏しいとして、兵糧を収めて堅守し、やがて降ると説いた。
- 謝は攻めても落とせず、略奪も成果がなかった。班超は敵の兵糧欠乏を見て、龜兹から食糧を求めると読んだ。
- そこで東境に伏兵を置き、謝が龜兹へ贈賂とともに送った使者を皆殺しにし、その首を示したため、謝は大いに驚いて謝罪し、生還を願い出た。班超はこれを許した。
- 以後、月氏は漢に大いに震え、年ごとに貢を奉るようになった。
春から夏 斉・北海の王統回復
- 北海哀王に後嗣がなかったことを、先帝は常に残念に思っていた。斉武王が漢の大業を最初に開いた功を念じ、遺詔で斉・北海の二国を復興するよう命じていた。
- 丁卯、蕪湖侯無忌を斉王に、北海敬王の庶子威を北海王に封じた。
六月から七月 中山王薨去と竇氏への封侯
- 六月、中山簡王焉が死去した。焉は東海恭王の母弟で、竇太后はその甥にあたるため、特に厚い賻銭が与えられた。
- その墓営のために一億銭を下し、大規模な陵墓工事が行われ、吏民の墓まで平らにされるものが千単位に及び、工事人数は万を超え、六州十八郡が動員された。
- 朝廷は竇憲を冠軍侯、竇篤を郾侯、竇瓌を夏陽侯に封じたが、竇憲だけは受けなかった。
- 七月、竇憲は涼州に出屯し、侍中鄧疊が征西将軍の事を行って副えられた。
秋から冬 北単于の再来と南匈奴の追撃
- 北単于は、返された弟ののち、九月に再び使者を送って塞に款し、称臣して入朝を求めた。
- 十月、竇憲は班固・梁諷を派遣してこれを迎えさせたが、そのころ南単于がまた北庭の撃滅を求めた。
- そこで左谷蠡王師子ら左右部八千騎が雞鹿塞を出て、耿譚配下の従事がこれを監護し、北単于を夜襲した。
- 北単于は創を負いながら辛うじて逃れ、閼氏や男女五人が捕らえられ、八千級が斬られた。生捕りも数千に及んだ。班固は私渠海まで行って引き返した。
- このころ南匈奴の勢力はさらに盛んになり、三万四千戸、精兵五万を擁した。