資治通鑑漢紀三十八 肅宗孝章皇帝上 建初 三年 78年
春正月 明堂の祭祀
- 春正月己酉、明堂で宗廟祭祀を行い、あわせて霊台に登り、天下に大赦を施した。
羌討伐の進展と耿恭の失脚
- 馬防は布橋を大破し、その配下の万余人を降した。
- 詔して馬防を召還し、耿恭を残して未服の諸種を討たせた。耿恭は千余を斬獲し、勒姐・焼何ら十三種数万人が相次いで降った。
- しかし耿恭は以前、上言で馬防の意に逆らったことがあり、その遺恨から監営謁者が意を受けて、軍事を顧みないと奏したため、耿恭は召し返されて獄に下され、官を免ぜられた。
三月 竇氏の立后
河漕工事の中止
- 明帝の時代から、虖沱河・石臼河を利用して都慮から羊腸倉へ漕運を通じ、太原方面へ兵糧を送ろうとする工事が進められていた。
- だが工事は難航し、吏民は長年の労役に苦しみ、死者も非常に多かった。
- 郎中の鄧訓が監督として実地調査したところ、完成は困難だと判断し、詳細に奏上した。
- 夏四月己巳、皇帝はついに工事中止を命じ、今後は驢馬による陸送に切り替えた。これにより巨額の費用と数千人の命が救われた。
閏月 班超の姑墨攻略
- 閏月、西域で仮司馬の班超は、疏勒・康居・于窴・拘弥の兵一万人を率いて姑墨の石城を攻め落とし、七百級を斬った。
冬十二月 馬防の昇進
- 冬十二月丁酉、馬防を車騎将軍に任じた。
- 武陵では漊中蛮が反乱を起こした。
諸王の就国見送り
- この年、有司は広平王羨・鉅鹿王恭・楽成王党をそれぞれ封国へ赴任させるよう奏した。
- しかし皇帝は兄弟への愛情が深く、離れるに忍びず、三王とも都に留め置いた。