資治通鑑漢紀三十七 顯宗孝明皇帝 永平 五年 62年
春:東平王蒼の帰国と特別待遇
- 二月、東平王蒼は政務から退いて藩国へ帰った。
- 帝は特別に、驃騎将軍府の長史を東平太傅に、掾を中大夫に、令史を王家の郎にあて、さらに一般より多い属官を置いた。
- 加えて銭五千万、布十万匹を賜り、厚く遇した。
秋冬:帝の巡幸と北辺の警備
- 十月、帝は鄴へ行幸し、その月のうちに帰宮した。
- 十一月、北匈奴が五原に侵入した。
- 十二月には雲中にも侵入したが、南単于がこれを撃退した。
邊民の帰還と装銭の支給
- この年、内郡に移されていた辺境出身の住民を送り返し、旅支度のため一人につき二万銭を支給した。
竇融一族の失脚
- 安豊戴侯竇融は老齢となっていたが、その子孫たちは放縦で、法を守らない者が多かった。
- 長子の竇穆は内黄公主を妻としていたが、陰太后の詔と偽って、六安侯劉盱に妻を去らせ、自分の娘を娶らせようとした。
- 劉盱の妻の実家がこの事情を上書すると、帝は激怒し、竇穆らの官職をすべて剥奪した。郎吏となっていた竇氏の者たちも、家族を率いて故郷扶風平陵へ帰らされた。
- ただし竇融本人だけは京師に留め置かれたが、ほどなく死去した。
- 数年後、竇穆らは再び罪に問われ、子の竇勲・竇宣とともに獄死した。
- その後、詔によって竇融の夫人と幼い孫一人だけが洛陽へ戻ることを許された。