資治通鑑漢紀三十四 世祖光武皇帝 建武 十年 34年

春正月 北辺出兵

  • 呉漢は再び捕虜将軍の王霸ら四将軍、計六万を率いて高柳から出撃し、賈覧を討った。
  • 匈奴数千騎が救援に現れたが、平城の下で連戦してこれを破り、追い払った。

馮異、ついに戦没

  • 馮異は趙匡・田弇とほぼ一年にわたって戦い、これを斬った。
  • なお隗純は落ちず、諸将はひとまず兵を引いて休養すべきだと主張したが、馮異は退かず、落門を攻め続けた。
  • しかし夏、軍中で薨じた。

八月 光武帝、西征再開

  • 光武帝は長安へ行幸した。
  • もとは隗囂の将であった安定の高峻が、高平第一に拠って兵を保っており、耿弇らが一年包囲しても落とせなかった。
  • 寇恂は、長安は四方への応接に便利であり、ここにあれば安定・隴西を震え上がらせられるのだから、皇帝自ら険地へ入るべきではないと諫めたが、帝は従わず、汧まで進んだ。

高峻の降伏

  • 光武帝は寇恂を派遣して高峻を降らせようとした。
  • 高峻は軍師の皇甫文を出して応対させたが、礼が不遜だったため、寇恂は諸将の反対を押し切ってこれを斬った。
  • その副使を帰して、降るなら急げ、降らぬなら守れと告げさせると、高峻は恐れてその日のうちに開城した。
  • 諸将が理由を問うと、寇恂は、皇甫文こそ高峻の腹心であり、これを生かせば高峻はなお強気でいる、殺せば胆を失って降ると読んだのだと答えた。皆その策に感服した。

冬十月 隗純降伏と隴右平定

  • 来歙は諸将とともに落門を破った。
  • 周宗・行巡・茍宇・趙恢らは隗純を率いて降伏し、王元は蜀へ逃れた。
  • 隗氏一族は京師以東へ移された。のち隗純は賓客とともに胡地へ逃げ、武威で捕らえられて誅された。

羌討伐と陇右安定

  • 先零羌と諸種羌が金城・隴西を侵したため、来歙は蓋延らを率いて進撃し、大破して数千の首虜を挙げた。
  • さらに倉廩を開いて飢民を救ったので、隴右はようやく安定し、涼州への交通路も回復した。

冬 還宮

  • 庚寅、光武帝は宮城へ還った。