資治通鑑漢紀二十 孝元皇帝上 初元 三年 前46年

春・珠厓放棄の正式決定

  • 春、帝は詔を下し、珠厓について討つ・守る・棄てるの三説がある中で、関東万民の飢餓と遠蛮未討のどちらが重大かを考えた結果、前者の救済を優先すべきだと明言した。
  • 凶年には宗廟の祭祀ですら十分に整えられないのだから、辱めを避けるためだけに戦を続けるべきではないとし、珠厓郡を罷めた。
  • ただし、漢に帰属したい者がいれば、その便宜に従って内地に居住させ、望まぬ者を無理に従わせることはしないとした。

災異と長沙王の継承

  • 夏四月乙未晦、茂陵の白鶴館が火災に遭い、天下に大赦があった。
  • 同じく夏、旱魃があった。
  • 長沙煬王の弟・宗を長沙王に立てた。

貢禹の再建議

  • 長信少府となっていた貢禹は、離宮や長楽宮の守衛を大幅に減らし、徭役の負担を軽くすべきだと上言した。
  • 六月、帝はこれを受け、民が父母や妻子と離れて本業でない工役に苦しみ、住まぬ宮殿を守るのは陰陽の道にかなわないとし、甘泉宮・建章宮の衛士を罷めて農に就かせ、百官にも節費案を条奏させた。

周堪の復帰

  • この年、帝は再び周堪を抜擢して光禄勲に任じた。
  • 周堪の弟子・張猛も光禄大夫給事中となり、強い信任を受けた。