資治通鑑漢紀十九 中宗孝宣皇帝 五鳳 元年 前57年

春正月 郊祀と太子の加冠

  • 皇帝は甘泉に行幸し、泰畤で郊祀を行った。
  • 皇太子が冠礼を受けた。

秋七月以後 匈奴で五単于並立

  • 屠耆単于は、先賢撣の兄である右奥鞬王と烏藉都尉にそれぞれ二万騎を与え、東方に駐屯させて呼韓邪単于に備えた。
  • このころ西方では、呼掲王が唯犂当戸とともに右賢王を讒言し、屠耆単于に自立の疑いを抱かせた。
  • 屠耆単于は右賢王父子を殺したが、のちに冤罪と知って、今度は唯犂当戸まで殺した。
  • そこで呼掲王は反旗を翻して自立し、呼掲単于を称した。右奥鞬王もまた車犂単于を称し、烏藉都尉も烏藉単于を称した。
  • こうして匈奴では屠耆・呼韓邪・呼掲・車犂・烏藉の五単于が並び立つことになった。
  • 屠耆単于は東へ出て車犂単于を攻め、都隆奇に烏藉を討たせた。烏藉・車犂は敗れて西北へ逃れ、呼掲単于の兵と合して四万となった。
  • 烏藉と呼掲は単于号を捨て、車犂単于を推戴して力を合わせた。
  • 屠耆単于は東方守備のため左大将都尉に四万騎を分駐させ、自らも四万騎で西へ車犂単于を撃った。車犂単于は敗れて西北へ逃れ、屠耆単于は軍を西南の闒敦地にとどめた。

漢廷の議論 匈奴を討つべきか

  • 漢朝では、匈奴の害は長く続いてきたのだから、この混乱に乗じて討ち滅ぼすべきだという意見が多く出た。
  • 皇帝が御史大夫蕭望之に意見を求めると、望之は、春秋で晋の士匄が喪中の斉を討たずに帰還した例を引き、乱に乗じて災いを喜ぶような軍事行動は義にかなわないと論じた。
  • 先の単于は和親を求め、善に向かって漢に従おうとしていたのに、不幸にも賊臣に殺されたのだから、今なすべきは征伐ではなく、弔問して弱きを助け、災いを救うことであると述べた。
  • そのようにすれば、四夷は中国の仁義を尊び、もしその恩で単于が復位できれば、いっそう臣服するであろうとした。
  • 皇帝はこの議を採用した。

冬十二月 日食と蕭望之・韓延寿の対立

  • 乙酉朔に日食があった。
  • 韓延寿が蕭望之に代わって左馮翊となった。
  • 蕭望之は、韓延寿が東郡にいたころに官金千余万を放散したと聞き、御史に調査させた。
  • これを知った韓延寿もまた、部下に命じて蕭望之が左馮翊時代に廩犧官の公金百余万を放散した件を調べさせた。
  • 蕭望之は、自分の職は天下のことを総覧する立場であり、聞いたことを問わぬわけにはいかなかっただけだと自ら奏上したが、皇帝は韓延寿に理があるとも断じず、双方に徹底した調査を命じた。
  • 結局、蕭望之には事実が認められなかった一方、東郡での韓延寿には、騎士の大試で兵車や服飾を過度に華美にしたこと、官銅を使って月食にちなんだ刀剣を尚方にならって鋳たこと、官金を私的に貸し出したこと、人夫を私用したこと、車や甲冑の修飾に巨費を投じたことなどが発覚した。
  • 韓延寿は狡猾不道の罪で棄市となった。
  • 送られる途中、吏民数千人が渭城まで見送り、老若男女が車に取りすがって酒食を差し出した。韓延寿はこれを拒めず、一石余りの酒を飲んだという。別れに際して、遠くから送ってくれたことへの謝意を伝え、自分は死んでも恨みはないと言ったため、百姓は皆涙を流した。