資治通鑑漢紀十四 世宗孝武皇帝 天漢 四年 前97年
春正月:大規模な対匈奴遠征
- 甘泉宮で諸侯王を朝会させたのち、天下から「七科」の罪ある者や、勇敢な兵士を徴発した。
- 貳師将軍李広利が騎兵六万・歩兵七万を率いて朔方から出撃し、路博徳・韓説・公孫敖も別道から進軍した。
- 匈奴は家族や財貨を余吾水の北へ遠ざけ、単于自ら十万騎で南岸に待ち構えた。李広利は交戦したが有利を得られず撤退し、十余日にわたる戦闘の末に帰還した。
- 韓説は戦果なく、公孫敖も左賢王と戦って敗れた。
李陵をめぐる誤報
- 公孫敖は帰還後、捕虜の言として「李陵が匈奴に漢軍への備えを教えているため戦果がなかった」と報告した。
- これに怒った武帝は李陵の一族を誅したが、のちにそれは李陵ではなく、匈奴に降った別の漢将・李緒のことだと判明した。
- 李陵は人を使って李緒を刺殺した。
- 単于の母である大閼氏は李陵を殺そうとしたが、単于は北方にかくまった。大閼氏が死ぬと、李陵は呼び戻され、単于の娘を妻とし、右校王に立てられた。衛律とともに重んじられたが、衛律が常に単于の側近であったのに対し、李陵は外にいて大事の際に参与した。
夏四月:皇子の封建
- 皇子の髆が昌邑王に立てられた。