資治通鑑漢紀十三 世宗孝武皇帝 天漢 元年 前100年
春正月・三月 甘泉・河東の祭祀
- 春正月、武帝は甘泉に行幸し、泰畤を郊祀した。
- 三月には河東へ行って后土を祀った。
蘇武の匈奴使節
- 武帝は、匈奴単于が漢使を返したことを義とみて、中郎将の蘇武に、漢に留めていた匈奴使者を送らせ、あわせて厚い贈り物で単于の善意に報いようとした。
- 蘇武は副使の張勝、仮吏の常惠らとともに出発した。
- しかし到着して贈り物を渡すと、単于はかえって驕り高ぶり、漢の期待したような和解ムードにはならなかった。
緱王・虞常の謀議
- そのころ匈奴では、緱王や長水出身の虞常ら、衛律に従っていた旧漢人の一部が、ひそかに単于の母の閼氏を拉致して漢へ帰ろうと計画した。
- 衛律はもと漢の長水胡系の出で、李延年の推薦で官にあり、延年家が摘発されたとき匈奴へ亡命して重用され、丁霊王にまでなっていた。
- 虞常は以前から張勝と親しく、「漢天子は衛律を憎んでいる。自分なら伏兵で衛律を射殺できる。漢にいる母や弟に賞賜が及ぶだろう」と語り、張勝もこれを許して私物を与えた。
- ところが一人が夜に逃げて密告したため、単于の子弟が兵を出して鎮圧し、緱王らは死に、虞常は生け捕られた。衛律が取り調べにあたった。
張勝の発覚と蘇武の自刎未遂
- 張勝は発覚を恐れ、以前のやり取りを蘇武に打ち明けた。
- 蘇武は「こうなれば必ず自分にも及ぶ。匈奴に辱めを受けてから死ぬのでは国に重ねて背くことになる」と言って自殺しようとし、張勝と常惠がこれを止めた。
- まもなく虞常の供述で張勝の関与が露見し、単于は諸貴人を集めて漢使をどう処分するか議した。左伊秩訾は「衛律を謀っただけで、漢使を殺すのは過重だ。むしろ降させよ」と進言した。
蘇武の節義
- 単于は衛律に命じて蘇武を呼び出し、張勝らの供述を取らせた。
- 蘇武は常惠らに「節を屈して命を辱めるくらいなら生きて漢へ帰る顔はない」と告げ、佩刀で自らを刺した。
- 衛律は驚いて抱き止め、医者を呼び、地に坎を掘って煴火を入れ、その上に蘇武を覆い、背を踏んで血を出させたところ、半日後に息を吹き返した。
- 単于はその節義を壮とし、人を朝夕よこして看病させる一方、張勝は拘禁した。
虞常処刑と降伏強要
- 蘇武が回復すると、単于は使者に説得させ、虞常を処刑する場でこれに圧力をかけた。
- 衛律は「張勝は単于の近臣を殺そうとした。死罪だが、降伏する者は赦される」と言い、張勝はついに降った。
- さらに蘇武に「副使に罪があれば正使も連座だ」と迫り、剣を向けたが、蘇武は少しも動じなかった。
- 衛律は自分の栄達を語って降伏を勧めたが、蘇武は「主君に背き親に逆らって蛮夷の降虜となった者と何を語るのか。しかも公正を失って両国を争わせようとしている」と激しく罵った。さらに南越・大宛・朝鮮が漢使を殺して結局滅んだ例を挙げ、匈奴にも禍が及ぶと告げた。
- 衛律はついに蘇武を屈服させられないと知り、単于に報告した。
北海流謫
- 単于はますます蘇武を降そうとして、まず大窖に幽閉し、飲食を絶った。
- 雪が降ると蘇武は雪を噛み、旃毛とともに飲み込み、数日生き延びたので、匈奴はこれを神異とみなした。
- そこでさらに北海の無人地へ移し、牡羊に乳が出たら帰国を許すと言って、羝を牧させた。
- 常惠ら随員はそれぞれ別の場所に分散拘留された。
- この年、白い長毛が雨のように降ったという。
夏五月 五原への配流兵と趙破奴帰還
- 夏、大旱が起こり、五月に天下へ赦令が出され、讁戍の者を五原へ屯させた。
- かつて匈奴に捕えられていた趙破奴は、この年に逃れて漢へ帰った。
年末 王卿の御史大夫就任