資治通鑑漢紀 太宗孝文皇帝 前元 十五年 前165年

春―黄龍の出現と土徳採用

  • 黄龍が天水郡成紀県に現れた。成紀は伏羲誕生の地と伝えられる。
  • 文帝は公孫臣を召して博士に任命し、諸生とともに漢の土徳説を詳しく説明させ、暦と服色を改める案を作らせた。張蒼は自ら退いた。

夏四月―雍での五帝祭祀

  • 文帝は初めて雍へ行幸し、五帝を郊祀して天下に赦令を出した。雍には秦が白・赤・黄・青帝の畤を設け、高帝が黒帝の畤を加えたため、五帝の祭場がそろっていた。

九月―賢良・直諫の登用

  • 諸侯王、公卿、郡守に、賢良で直言・極諫できる者を推薦させ、文帝自ら策問した。
  • 太子家令鼂錯が最高評価を得て中大夫に抜擢された。鼂錯は、諸侯の領地削減や法令改定について計三十篇を上奏した。文帝はすべてを採用したわけではないが、その才能を高く評価した。

斉・河間両王国の断絶

  • 斉文王劉則と河間哀王劉福がともに子を残さず死去し、両国は廃止された。劉則は斉哀王劉襄の子で斉悼恵王劉肥の孫、劉福は劉辟彊の子で趙幽王劉友の孫である。

新垣平の登場

  • 趙人新垣平が望気術によって文帝に謁見し、長安北東に五色の神気があると述べた。そこで渭陽に五帝廟が建てられた。