資治通鑑漢紀六 太宗孝文皇帝 前  十年 前170年

薄昭、漢使を殺して自殺に追い込まれる

  • 冬、文帝が甘泉へ行幸していたころ、将軍薄昭が漢の使者を殺した。
  • 文帝は母の弟である薄昭をみずから誅するに忍びず、公卿たちに従って酒宴をさせ、自発的に自決するよう促したが、薄昭は応じなかった。
  • そこで群臣に喪服を着せて哭礼を行わせ、薄昭に死を迫った結果、ついに自殺した。

司馬光の評

  • 司馬光は、李徳裕が「文帝が薄昭を誅した判断は明快だが、母が存命中にその唯一の弟を断罪した点は道義上穏当でない」と評したことを引く。
  • これに対し、司馬光は、法とは天下公共の器であり、親疎を問わず一様に行ってこそ人はそれを恐れるのであって、薄昭がここまで驕って使者殺しに至ったのは、文帝が初めから賢い師傅を付けず、兵権まで与えて甘やかしたためだと論じる。
  • したがって問題は、罪を犯したあと赦すかどうかではなく、そもそも外戚に権勢を与えぬよう始めに防ぐべきだったという。魏文帝も同様に、外戚は恩で養うべきで権を貸してはならず、罪法に触れた以上は害さぬわけにいかないと評したが、その指摘は正しいと結んでいる。