資治通鑑漢紀五 高皇后 四年 前184年
春二月 昌平侯の封建
- 春二月癸未、惠帝の子とされた太を昌平侯に封じた。
夏四月 少帝の廃立
- 太后は妹の呂須を臨光侯に封じた。
- この頃、少帝は成長して、自分が皇后張氏の実子ではなく、生母が殺されて自分がその子として立てられたことを知った。そして、成長したら報復すると口にした。
- 太后はこれを聞いて少帝を永巷に幽閉し、病気だと称して臣下にも会わせなかった。
- ついで群臣に対し、皇帝は病が重く、精神も乱れて天下を治められないとして、交代させるべきだと告げた。群臣はこれに従い、少帝は廃され、のちに殺された。
- 五月丙辰、恒山王義を帝に立て、名を弘と改めた。だが即位元年とはせず、なお太后が政務を執り続けた。
- もとの軹侯朝を恒山王に立てた。
- 同年、平陽侯曹窋を御史大夫とした。
南越との関係悪化
- 有司は南越との関市で鉄器の売買を禁じるよう求めた。南越王趙佗は、これは長沙王が漢朝の力を借りて南越を併呑し、自らの功績にしようと図ったものだと疑った。