資治通鑑秦紀一 始皇帝上 六年 前241年
五国合従の失敗
- 諸侯は秦の攻伐がやまないことを憂え、楚・趙・魏・韓・衛の五国で合従し、楚王が盟主となって秦を討った。
- 春申君が用兵を統べ、寿陵を取り、函谷関まで進んだ。
- しかし秦軍が出撃すると、五国軍はことごとく敗走した。
- 楚王はその責任を春申君に帰し、これ以後、春申君はますます疎んじられるようになった。
朱英、楚の危機を予言
- 観津の人朱英は春申君に、楚は表面上は強国に見えるが実は弱く、秦が楚を攻めなかったのは地勢の不便があったからにすぎない、と説いた。
- ところが今や魏は滅亡寸前で、許・鄢陵も守れず、それらが秦に渡れば、秦軍は陳に接近して楚と直に争うことになると警告した。
- このため楚は陳を去って寿春へ遷都し、その地を郢と呼んだ。春申君は自封地である呉へ移り、なお相国の職務は行った。
衛の移転
- 秦は魏の朝歌と、衛の濮陽を奪った。
- 衛の元君は一族を率いて野王へ移り、山に拠って魏の河内で自保した。