資治通鑑周紀五 赧王 四十九年 前266年

秦、魏の邢丘を奪う

  • 秦は魏の邢丘を奪った。

范睢、四貴追放を進言

  • 范睢はますます昭王の信任を得て、機を見て王に進言した。
  • 彼は「山東にいた頃、斉では孟嘗君、秦では太后と穰侯の名ばかり聞こえ、王の名は聞こえなかった」と述べ、実権が王でなく外戚・重臣にあることを問題にした。
  • 太后は専断し、穰侯は王命を仰がず外交を行い、華陽君・涇陽君・高陵君も思うままに振る舞っていると批判した。
  • また、大都が大きくなれば国を危うくし、臣を尊びすぎれば君主が卑しめられるとし、淖歯や李兑の例を引いて、臣下の専横が君主を害した先例を語った。
  • さらに、秦の高官から近臣に至るまで相国派で占められており、このままでは秦を継ぐのが王の子孫でなくなるかもしれないと警告した。
  • 昭王はこれを是とし、太后の権限を奪い、穰侯・高陵君・華陽君・涇陽君を函谷関外へ追放した。
  • 范睢は丞相となり、応侯に封じられた。

須賈、秦で范睢に再会

  • 魏王は須賈を秦へ派遣した。
  • 応侯となった范睢は、ぼろ衣で徒歩のまま須賈を訪ね、旧知として接した。須賈は驚き、衣食を与え、綈袍まで贈った。
  • 范睢はそのまま須賈の御者をして相府へ向かい、先に取り次ぐと言って入った。
  • 須賈が遅いのを怪しんで尋ねると、門下は「范叔などいない、我が相国は張君だ」と答えたため、須賈は初めて相手が范睢本人と知った。
  • 須賈は膝行して謝罪した。応侯は、かつて自分が死なずに済んだのは、須賈にまだ旧情があったためだと言い、堂下に座らせ、馬に与える莝豆を前に置いて屈辱を与えた。
  • さらに魏王に「魏斉の首を早く送れ。さもなくば大梁を屠る」と伝えさせた。
  • 須賈が帰国して伝えると、魏斉は趙へ逃れ、平原君の家にかくまわれた。

趙で王位交代

  • 趙の恵文王が死去し、その子の孝成王丹が即位した。
  • 平原君が相となった。