資治通鑑周紀五 赧王 五十年 前265年

宣太后の死と穰侯退去

  • 秦の宣太后が死去した。
  • 九月、穰侯は封地の陶へ退いた。

司馬光の評

  • 司馬光は、穰侯は昭王を助けて即位させ、危難を除き、白起を推挙し、楚の鄢・郢を奪い、東では斉にまで国境を伸ばした人物であり、秦の強大化への功績は大きいと評する。
  • 一方で、その専横と貪欲が禍を招いたとはいえ、范睢の非難はやや過剰で、范睢自身も秦への忠誠というより穰侯排斥を狙った面が強いと断じる。
  • その結果、秦王は母子の情や舅甥の恩を断ち、范睢は人を傾け危うくする士だと酷評されている。

秦の太子冊立と対趙戦

  • 秦王は子の安国君を太子に立てた。これは後に安国君の子異人が後継となる話の前提である。
  • 秦は趙を攻め、三城を取った。

長安君を斉への人質に

  • 趙では新王が即位して間もなく、太后が実権を握っていた。趙は秦に対抗するため斉に救援を求めたが、斉は長安君を人質に差し出すよう要求した。
  • 太后はこれを拒み、「再び長安君を人質にと言う者があれば顔に唾する」とまで言った。
  • 左師の触龍が拝謁を願い出ると、太后は怒気を含んで迎えた。触龍はまず自分の足の病や太后の食事の様子を話題にして気持ちを和らげた。
  • ついで、末子の舒祺を宮中警衛の下役に補してほしいと頼み、親が子を愛する情について語り始めた。
  • 触龍は「父母が子を愛するなら、遠い先まで考えるものだ」と述べ、太后が燕后を嫁がせたときには別れを悲しみながらも、帰国せず燕王家を継ぐよう祈ったではないかと説いた。
  • さらに、歴代の王子たちが高位と豊かな封地を与えられながら功績もなく、結局は身を保てなかった例を示し、長安君にも今のうちに国家への功を立てさせる必要があると論じた。
  • 太后はついに承服し、長安君のために百乗の車を整えて斉へ人質として送った。
  • これにより斉軍が出動し、秦軍は退いた。

田単の軍事行動と斉王交代

  • 斉の安平君田単は趙軍を率いて燕を攻め、中陽を取った。
  • さらに韓を攻め、注人を奪った。
  • 斉の襄王が死去し、その子の建が即位した。建は年少で、国政は君王后が裁断した。