資治通鑑周紀五 赧王 五十一年 前264年

秦、韓の南陽を取り太行道を断つ

  • 秦の武安君白起が韓を攻め、南陽を奪い、太行の道を断って韓の上党方面を孤立させた。

黄歇、楚太子を秦から脱出させる

  • 楚の頃襄王が重病となると、黄歇は応侯范睢に「秦は今こそ楚の太子を帰すべきだ。太子が即位すれば秦への恩は深くなるが、帰さなければ楚は別の王を立て、秦と疎遠になる」と説いた。
  • 応侯が王に告げると、王は「まず太子の傅を帰して病状を見させ、その後で考える」と答えた。
  • 黄歇は太子に対し、「秦は太子を利用したいだけで、今の太子には秦へ利益を与える力がない。もし楚王が死ねば、国内にいる陽文君の子が立てられ、太子は宗廟を継げなくなる」と説いた。
  • そこで、太子は楚使に変装して御者となり、使者とともに関を出た。黄歇は宿所に残って、太子の病を理由に面会を避け続けた。
  • 太子が十分に遠くへ去ったのを見届けると、黄歇は自ら王に出頭して事実を告げ、死罪を請うた。
  • 王は怒ったが、応侯は「主君のために身を投げ出す忠臣であり、太子が立てば必ず用いられる。罰せず楚へ帰して楚との親善につなぐべきだ」と進言した。
  • 王はそれに従い、黄歇を無罪で帰国させた。
  • 黄歇が楚へ戻って三か月後、その年の秋に頃襄王が死去し、太子完が考烈王として即位した。
  • 黄歇は相国に任じられ、淮北の地を与えられて春申君と号した。