資治通鑑周紀四 赧王 四十二年 前273年

趙・魏、韓の華陽を攻める

  • 趙と魏は韓の華陽を攻めた。韓は危急を秦に訴えたが、秦王は当初これを救わなかった。
  • 韓の相国は病身の陳筮に頼み、ひと晩の行程だけでも秦へ行ってほしいと請うた。
  • 陳筮が穰侯に会うと、穰侯は事が急だから来たのだろうと言ったが、陳筮は「まだ急ではない。急なら韓はすでに他国へ従っているはずだ」と答えた。これを聞いた穰侯はただちに出兵を決めた。

秦、華陽で魏を大破

  • 秦は武安君白起と客卿胡陽を派遣し、八日で華陽に到着して魏軍を撃破した。芒卯を敗走させ、三将を捕え、十三万を斬った。
  • 白起はまた趙将賈偃と戦い、趙兵二万人を黄河に沈めた。

魏、南陽割譲論と蘇代の警告

  • 魏の段干子は南陽を秦へ割譲して和を結ぶよう求めた。
  • 蘇代は魏王に対し、段干子は秦の印璽を欲し、秦は土地を欲しているのだから、土地を欲する者に印を与え、印を欲する者に土地を任せれば魏の地は尽きると警告した。
  • さらに、秦に土地で事えるのは薪を抱えて火を救うようなもので、薪が尽きないかぎり火は消えないと説いた。
  • それでも魏王は、すでに事が始まっていて覆せないとして従わず、ついに南陽を割って和した。寔脩武の地である。

韓の君主交代

  • 韓の釐王が死去し、子の桓恵王が立った。

黄歇、秦楚連携を説く

  • 韓・魏が秦に服して以後、秦王は白起に韓・魏とともに楚を伐たせようとした。
  • その出兵前に楚の使者黄歇が到着し、秦が勝勢に乗じて楚を一挙に滅ぼすことを恐れ、上書してこれを諫めた。

黄歇の論旨

  • 黄歇はまず、物事は極まれば反転する、囲碁の石も積み上げすぎれば危ういと述べ、秦の版図はすでに天下の両端に及んでおり、これ以上の膨張は危険だと説いた。
  • ついで、韓の盛橋が百里の地を差し出し、秦は戦わずして利益を得、さらに魏を圧迫して河内・燕・酸棗・虚桃・邢を制したこと、また蒲衍・首垣などを奪って魏を屈服させたことを列挙した。
  • そして今や濮磨以北を抑えて斉と直結し、楚と趙の連絡を断っており、秦の威勢は十分すぎるほどだとした。

韓魏を信用して楚を攻める危険

  • 黄歇は、ここで功を守って仁義の実を肥やせば三王・五覇を超えることもできるが、ただ兵威で天下を臣従させようとすれば後患を招くと諫めた。
  • 『詩経』の「初めあらざるなし、よく終わるは鮮し」や、『易』の狐が川を渡って尾を濡らす話を引き、始めは易く終わりは難しいと論じた。
  • さらに、呉が越を信じて斉を討った結果、帰途に越王に滅ぼされたこと、智伯が韓魏を信じて趙を攻めた末に逆に殺されたことを例に挙げた。
  • 韓魏は長年にわたり秦に怨みを積んでおり、その本心は秦を滅ぼすことにあるのだから、これらの国に依拠して楚を攻めるのは誤りだと説いた。

楚を攻める地理的不利

  • もし韓魏の地を借りて兵を出せば、帰路を断たれる憂いがあり、借りずに楚を攻めれば、隨水右壌の山林・大水・渓谷ばかりのやせ地へ入るほかなく、名はあっても実利がないと指摘した。
  • しかも秦と楚が戦えば、四方の国はみな兵を起こし、魏は留・方与・銍・湖陵・碭・蕭・相など旧宋の地を奪い、斉も泗上を取るだろうと論じた。
  • そうなれば、もっとも強くなるのは斉と魏であり、秦にとっては本末転倒であると説いた。

最善策は楚との親善

  • 黄歇は、楚と善を結んで秦楚が一体となれば、韓は関内侯のように屈服し、魏もまた内地の諸侯同然となると説いた。
  • そのうえで十万を鄭に駐屯させれば、許・鄢陵は城を閉ざし、上蔡・召陵も大梁と行き来できなくなる。こうして韓魏を抑えた上で斉を攻めれば、右壌は手をこまぬいても得られるという。
  • さらに、秦が東西両海にまたがる大国となり、燕趙と斉楚の連携を断てば、四国はいたく傷つけずとも服従すると論じた。

秦、楚攻めを中止

  • 秦王は黄歇の意見に従い、武安君の出兵を止め、韓・魏に詫びを入れたうえで、黄歇を楚へ帰して親善の約を結ばせた。