周王の交代
- 慎靚王が没し、子の延が即位した。これが赧王である。
秦、義渠・魏・韓へ圧力
- 秦は義渠に侵攻して二十五城を奪った。すでに義渠は秦に服属していたが、なお残る領域をさらに蚕食した形である。
- 魏が秦に叛くと、秦はこれを討って曲沃を奪い、その住民を移した。
- さらに韓軍を岸門で破った。
- 韓は太子倉を秦に人質として送り、和議を結んだ。
燕の内乱と斉の介入
- 子之が王となって三年、燕国内は大乱に陥った。
- 将軍の市被は太子平と結んで子之を攻めたが失敗し、逆に太子を攻撃した。数か月にわたる内戦で数万人が死に、民衆は深く恐れた。
- 斉王は章子に五都の兵と北方の軍勢を授けて燕に侵攻させた。
- 燕軍はほとんど戦わず、城門も閉ざさなかったため、斉軍は子之を捕えて醢にし、さらに燕王噲も殺した。
孟子、燕併合を戒める
- 斉王は孟子に、燕を取るべきかを問うた。
- 孟子は、燕の民が喜ぶなら取ってよいが、喜ばないなら取るべきでないと答え、武王と文王を引いて王道の条件を説いた。
- 人々が箪食壺漿で迎えたのは暴政からの救済を期待したからであり、もし父兄を殺し子弟を縛り、宗廟を壊し重器を奪うなら、民は再び離反するだけだと諫めた。
- さらに、斉はただでさえ強国として恐れられているのに、燕を併合して倍の領土を得ながら仁政を行わなければ、天下の諸侯に兵を起こさせることになると警告した。
- 具体策として、老人や孤児を燕に帰し、重器の移動を止め、燕人と相談して新君を立ててから撤兵すべきだと述べた。
- しかし斉王は聞き入れず、まもなく燕人は斉に叛いた。
陳賈と孟子の問答
- 斉王は孟子に対してひどく恥じ入った。
- 陳賈はこれを取りなそうとして孟子に会い、周公が管叔を殷監に立てたのに反乱されたのだから、聖人にも過失はあるのではないかと問うた。
- 孟子は、周公にとって管叔は兄であり、その誤りは事情としてありうるとしつつ、古の君子は過てば改めるが、今の君子は過ちに言い訳を重ねるだけだと批判した。
斉王の交代