資治通鑑周紀二 顯王 十六年 前353年

孫臏の登場

  • 斉威王は田忌を趙救援に派遣した。
  • 孫臏はかつて龐涓とともに兵法を学んだが、龐涓はその才能が自分を上回るのを恐れ、魏へ呼び寄せて膝を損なう刑と黥刑を加え、行動不能にしようとした。
  • ところが斉の使者が魏へ来た際、孫臏は密かに会って自説を述べ、使者は彼をひそかに斉へ連れ帰った。
  • 田忌は彼を厚遇し、威王に推薦した。威王は兵法を問うて師とした。

桂陵の計

  • 威王が趙を救おうとすると、孫臏は自ら将になるのを辞し、刑余の身として表には立たず、田忌を将とし、自分は輜車中から計を授けた。
  • 田忌は趙へ直行して救おうとしたが、孫臏は、もつれた争いを解くには正面から殴り合ってはならない、魏の都を急襲して急所を突けば、魏は趙囲みを解いて帰るはずだと説いた。
  • その策に従い、斉軍は魏の都方面へ進んだ。

邯鄲陥落と桂陵の勝利

  • 十月、邯鄲は魏に降った。
  • しかし撤退する魏軍を斉軍が桂陵で迎え撃ち、大破した。

韓の東周侵攻

  • 韓は東周を攻め、陵観と廩丘を奪った。

江乙の進言

  • 楚では昭奚恤が相であった。江乙は楚王に、主人に可愛がられる犬が井戸へ落ちても、近所の者は噛まれるのを恐れて進言できないという喩えを用いた。
  • 昭奚恤もまた自分が王に会うのを嫌っている、王が人の善ばかりを聞き、悪を嫌うなら、父子や君臣の大罪すら知らぬままになると諫めた。
  • 王は善しとして、善悪両方の言を聞くと答えた。