魏の韓攻めと斉の判断
- 魏の龐涓が韓を攻め、韓は斉に救援を求めた。
- 斉威王は大臣に相談したが、成侯の鄒忌は救わぬ方がよいとし、田忌は早く救うべきだとした。
- 孫臏は、韓魏の兵がまだ疲弊していないうちに救えば、斉が韓の代わりに魏の攻撃を受けるだけだ、韓が敗勢になれば必ず斉にすがるから、その時に救えば親しみも得られ、疲れた魏に大利を得られると説いた。
- 威王はこれを採用し、表向きには承知しつつ実際の出兵を遅らせた。
- 韓は斉を頼みにして五戦したが全敗し、ついに国を挙げて斉に頼った。
馬陵の戦い
- 斉はそこで兵を起こし、田忌・田嬰・田盼を将とし、孫子を師として韓を救わせた。魏都へ直進すると、龐涓は韓攻めをやめて帰還した。
- 魏は大軍を出し、太子申を将として斉軍を迎えた。
- 孫臏は、三晋の兵は勇敢だが斉を軽んじているので、その思い込みを利用するべきだとし、兵法の「百里にして利を趨れば上将蹶く」の理を引いた。
- 斉軍は魏地に入ると、初日は十万の竈、翌日は五万、翌々日は二万と見せかけた。
- 龐涓は斉兵は臆病で、三日で逃亡者が半分を超えたと喜び、歩兵を捨てて精鋭のみで倍速行軍し追撃した。
- 孫臏は馬陵の地形が狭く、両側に伏兵を置けることを見て、大木の皮を削って「龐涓死此樹下」と書かせた。
- 万を超える弩兵を道の両側に伏せ、夜に火が見えたら一斉に撃てと命じた。
- 龐涓が夜に着いてその字を読みかけると、弩が一斉に放たれ、魏軍は大混乱に陥った。
- 龐涓は自分の智謀が尽きたと悟り、「ついにあの若造の名を成してしまった」と言って自刎した。
- 斉は勝ちに乗じて魏軍を大破し、太子申を捕虜とした。
鄒忌、田忌を陥れる
- 成侯の鄒忌は田忌を憎み、人に十金を持たせて市で占わせ、「私は田忌の家人である。将として三戦三勝し、これから大事を行おうと思うが、どうか」と言わせた。
- 卜者がこれを言い出したところを人に捕えさせ、田忌に叛意ありと見せかけた。
- 田忌は弁明できず、徒党を率いて臨淄を攻めたが、成侯を得られず、楚へ亡命した。