資治通鑑周紀二 顯王 三十三年 前336年

宋の異変

  • 宋では太丘の社が失われた。凶兆と見られた。

孟子と魏恵王

  • 鄒の人、孟軻が魏恵王に会った。
  • 王が、遠路来たのだからわが国に利益をもたらす術があるだろうと問うと、孟子は、王はなぜ利益ばかりを言うのか、仁義があるだけでよいと答えた。
  • 君主が利を求め、大夫が家の利を求め、士庶が身の利を求めれば、上下が競って利を争い、国は危うくなると論じた。
  • 仁ある者が親を捨てたことはなく、義ある者が君を後回しにしたこともない、とも述べた。
  • 王はこれを善しとした。

子思と孟子の学統

  • かつて孟子は子思に牧民の道は何を先にすべきかと問い、子思はまず民に利することだと答えた。
  • 孟子が仁義でよいのではないかと言うと、子思は、仁義こそ民への最大の利益であり、上が不仁不義なら下は居場所を失い詐をなすので、これこそ最大の不利だと説いた。
  • 『易』にも、利とは義の和であり、身を安んじて徳を崇めるに用いるとあるという。

司馬光の論評

  • 司馬光は、子思と孟子の言うところは本来同じであるとする。
  • ただ、真に仁者だけが仁義こそ利益であると知り、不仁の者はそれを知らない。
  • 孟子が梁王に対して「利」に触れず仁義だけを語ったのは、相手に応じて言い方を変えたからだと評した。