資治通鑑周紀二 顯王 三十五年 前334年
斉王・魏王の相王
- 斉王と魏王は徐州で会い、互いに王号を認め合った。
韓昭侯の高門と屈宜臼の諫め
- 韓昭侯が壮大な高門を作ろうとすると、屈宜臼は、君はこの門をくぐって出ることはあるまいと諫めた。
- その理由として、以前は国勢に余裕があったからまだしも、前年に秦に宜陽を奪われ、今年は旱魃まであるのに、民の苦しみを救わず奢侈を増すのは、時勢が屈しているのに豊かさのように振る舞うものだと言った。
越の滅亡
- 越王無彊が斉を攻めようとしたが、斉は使者を送って、斉より楚を攻める方が利益が大きいと説いた。
- 越王はその言に従って楚を攻めたが、逆に楚軍に大敗した。
- 楚は勝ちに乗じて呉の旧地を尽く奪い、東は浙江にまで及んだ。
- 越はこれによって離散し、公族が互いに王や君を称して海辺に分立し、ついに楚に朝服した。