司馬法天子之義

  • 要旨: 天子の義は天地に法り古の聖人に倣うことにあり、士庶の義は父母に仕え君長に正されることにあるとしたうえで、民を教化する順序、国と軍とで作法を分ける原則、夏・殷・周三代の兵制・儀礼の変遷、軍の統率における威の加減、賞罰の運用を論じる。

天子と士庶それぞれの「義」

  • 天子の義は天地の法に純粋に則り、先聖の教えを観ることにある。士庶の義は父母に奉じ、君長によって正されることにある。したがってどれほど明君であっても、士があらかじめ教化されていなければ用いることはできない。

民の教化:身分・徳・技・勇の秩序

  • 古の民の教化では、貴賤の秩序を立てて互いに侵さないようにし、徳義において互いに越えず、材技において互いに覆い隠さず、勇力において互いに侵さないようにした。そうすることで力が等しくとも意が和する。

国の作法と軍の作法を混同しない

  • 古は国の作法(国容)を軍に持ち込まず、軍の作法(軍容)を国に持ち込まなかった。それゆえ徳義は互いに越えなかった。
  • 上に立つ者は功を誇らない士を貴んだ。功を誇らなければ求めるところがなく、求めがなければ争わない。国中の訴えは実情を得やすく、軍中の訴えは適切に処理される。それゆえ材技は互いに覆い隠されなかった。
  • 命に従う士には最高の賞を与え、命に背く士には最高の罰を与えた。それゆえ勇力は互いに侵されなかった。

教化の徹底と選抜

  • 民の教化を尽くしたのちに、慎重に選んで用いる。物事が極めて整えば百官は事欠かず、教えが簡潔に極まれば民は良く興る。習慣が身につけば民の体は自然に俗に馴染む、これが教化の極みである。

追撃の節度と勝利後の礼

  • 古は逃げる敵を遠くまで追わず、退く敵に追いつくまでは至らなかった。遠くまで追わなければ誘い込まれにくく、追いつかなければ陥れられにくい。礼をもって守りを固め、仁をもって勝利を得た。勝利の後もその教えが復しうるからこそ、君子はこれを貴んだ。

夏・殷・周三代の誓いと兵制の変遷

  • 有虞氏(舜)は国中で戒めを発し、民に命令を体得させようとした。夏后氏は軍中で誓いを発し、民に思慮を先に固めさせようとした。殷は軍門の外で誓いを発し、民に意を先立たせて事を行わせようとした。周は刃を交える直前に誓いを発し、民の志を奮い立たせようとした。
  • 夏后氏は徳を正すことを主とし、まだ兵刃を用いなかったため兵は雑多にならなかった。殷は義を主とし、初めて兵刃を用いた。周は力を主とし、兵刃を全面的に用いた。
  • 夏は朝廷で賞し善を尊び、殷は市で戮して不善を威嚇した。周は朝廷で賞し市で戮することで、君子を勧め小人を懼れさせた。三代とも徳を彰らかにする点では一致していた。

兵器の長短と兵車・旗・徽章の変遷

  • 兵が雑多であれば利がなく、長兵は防衛に、短兵は守りに用いる。長すぎれば扱いにくく、短すぎれば届かない。軽すぎれば鋭いが乱れやすく、重すぎれば鈍く用をなさない。
  • 戎車は、夏后氏は「鉤車」と呼び正しさを先とし、殷は「寅車」と呼び速さを先とし、周は「元戎」と呼び優良さを先とした。
  • 旗は、夏后氏は黒地を用い人の執るところを表し、殷は白を用い天の義を表し、周は黄を用い地の道を表した。
  • 徽章は、夏后氏は日月を用い明を尊び、殷は虎を用い戎(武)の白を表し、周は龍を用い文を尊んだ。

軍における威の過不足

  • 軍が威を用いすぎれば民は屈服しすぎ、威が少なすぎれば民は自らを持ちこたえられない。
  • 上が民に義を得させず、百姓に秩序を与えず、技能者が利を得ず、牛馬が任に堪えず、役人がこれを凌ぐ、これを「威多し」と呼び、民を屈服させすぎる原因になる。
  • 上が徳を尊ばず詐りを用い、道を尊ばず勇力に頼り、命に従う者を貴ばず命に背く者を貴び、善行を貴ばず暴行を貴んで役人を凌がせる、これを「威少なし」と呼び、民が持ちこたえられなくなる原因になる。
  • 軍は舒(ゆったりとした統制)を旨とすべきで、それによって民の力が保たれ、刃を交えても兵は駆け出さず、車も走らず、追撃も隊列を越えない。これによって乱れることがない。軍の堅固さは行列の秩序を失わず、人馬の力を絶やさず、遅速が命令の範囲を超えないことにある。

国と軍とで異なる立ち居振る舞い

  • 国の作法を軍に持ち込めば民の徳は廃れ、軍の作法を国に持ち込めば民の徳は弱まる。
  • 国にあっては物言いは穏やかに、朝廷では恭しく謙り、己を修めて人を待ち、召されねば出向かず、問われねば発言せず、進むことは難しく退くことは容易とする。
  • 軍にあっては毅然として立ち、行軍では最後までやり遂げ、甲冑を着た者は拝礼せず、兵車の上では会釈せず、城壁の上では小走りせず、危急の際には序列にこだわらない。礼と法は表裏をなし、文と武は左右をなすものである。

賞罰の必要性は徳の衰えを示す

  • 古の賢王は民の徳を明らかにし民の善を尽くさせたので、徳を廃することも民を粗略にすることもなく、賞を用いる必要も罰を試す必要もなかった。
  • 有虞氏は賞罰なくして民を用いることができた、これが至徳である。夏は賞のみで罰を用いなかった、これが至教である。殷は罰のみで賞を用いなかった、これが至威である。周に至って賞罰を併用するようになったのは、徳が衰えた証しである。
  • 賞は時機を逃さず与えることで、民が善をなす利益を速やかに実感できるようにする。罰は場を移さず即座に行うことで、民が不善の害を速やかに目にできるようにする。
  • 大勝しても賞せず、上下ともに自分の善を誇らない。上が善を誇らなければ驕らず、下が善を誇らなければ序列を乱さない。上下ともに善を誇らないのが、譲の極みである。
  • 大敗しても誅せず、上下ともに不善の責を自らに帰す。上が不善を自らに帰せば必ず過ちを悔い、下が不善を自らに帰せば必ず罪から遠ざかる。上下ともに悪を分かち合うのが、譲の極みである。

民の労苦への配慮と平和の演出

  • 古は三年間戍役の兵を興さず、民の労苦を思いやった。上下が互いに報い合う、これが和の極みである。
  • 望みを得れば凱旋の歌を歌い喜びを示し、霊台に武を収めて民の労に応え休息を示した。