西漢演義第八十七回 婁敬は都を咸陽に遷すことを議する (婁敬議遷都咸陽)
婁敬の遷都論
洛陽で帝への目通りを望んでいたのは斉人・婁敬であった。彼は「霸王が范増の勧めを聞かず彭城に都したことが天下を失う因となった」と例に引き、洛陽と周の都との違いを説く。周は后稷以来の積徳の上に建国し、洛邑は諸侯の朝貢に便利な地勢だったが、漢は激戦で疲弊した状態にあり、周と同列に論じられない。関中は山河に囲まれた要害であり、有事に百万の兵を直ちに動員できると説き、洛陽定都では他日の力弱まる時に対処できなくなると警告した。
遷都の決定
群臣の多くは山東出身で洛陽定都を支持したが、張良は「洛陽は四面から攻められやすい地。関中は三方を険で守り一方で諸侯を制する天府の国であり、婁敬の言は正しい」と賛同、帝はこれに従い咸陽への遷都を決定した。婁敬は奉春君に封じられ劉姓を賜った。群臣は祝賀の表を捧げ、帝は大いに喜び宴を催した。
鍾離昧探索の密命
帝は鍾離昧の行方を案じ、季布の証言から韓信の元に匿われている疑いを持つ。陳平は「急ぎすぎず、緩めすぎず」の策として、隠密に韓信を探らせ、鍾離昧を自害させるよう仕向ける計を提案、帝は隨何を使者として楚へ派遣した。
韓信への揺さぶり
隨何は義帝陵の造営を名目に楚を訪れ、韓信に「鍾離昧を匿っているとの讒言が朝廷に広まっている、疑いを晴らすには鍾離昧を殺して首を献上するしかない」と説いた。韓信は動揺し鍾離昧に事情を告げるが、鍾離昧は「私が生きている限り漢王はあなたを害せない、私が死ねばすぐにあなたも殺される」と諭し、韓信は決断を先延ばしにした。隨何は動きがないのを見て報告のため引き返した。
謀反の密告
密告者が「韓信は父母の墓のために民田を奪い、兵を構えて郡県を脅かし、亡命した楚将鍾離昧を匿って謀反を企てている」と帝に訴えた。帝は陳平に対応を諮り、陳平は「韓信は力では制しがたい、智で捕らえるべき」と献策する。その具体策は次回に語られる。