西漢演義第八十回 九里山に十面の伏兵を敷く (九里山十面埋伏)

誘引の策

韓信は霸王を重地に誘い込む策を左車に問うた。左車は「霸王は既に一度誘引に遭っているので、同じ手は見破られる恐れがある。明日、漢王自ら陣前で霸王を挑発して西へ逃げ、霸王の短気な性分を突けば必ず追ってくる。途中で自分が身をもって足止め役を演じ、詐降の恨みからさらに怒りを煽って逃走すれば、霸王はますます深追いするだろう」と提案し、韓信はこれに賛同した。漢王と密議の上、孔熙・陳賀を漢王の護衛につけ、垓下方面へ誘導する策を固めた。

韓信の布陣

韓信は諸将に、この一戦で天下の帰趨が決まると鼓舞し、『周易』の八卦に基づいて八方に伏兵を配した。王陵(乾・西北)、盧綰(坎・正北)、曹参(艮・東北)、英布(震・正東)、彭越(巽・東南)、周勃(離・正南)、張耳(坤・西南)、臧荼(兌・正西)にそれぞれ精兵を預け、さらに夏侯嬰・張良・陳平を前後左右の応援に、孔熙・陳賀・呂馬通・呂況・靳歙・柴武ら諸将にも役割を割り当てて周到な陣容を敷いた。陳豨・陸賈・傅寬・吳芮らには、楚軍が城を空けた隙に徐州へ入り、霸王の宮眷を保護し民を安撫して漢の旗を立てる役目を与えた。灌嬰は偽って敗走し霸王を会垓へ誘い込む役、楊喜・楊武・王翼・呂勝は烏江左右に伏兵として配置された。

王陵らが道筋と埋伏の詳細を尋ねると、韓信は「九里山は徐州城北九里の地で、項王が敗れれば必ず彭城へ逃げ込もうとするが、城には既に漢の旗を立てるので近づけず、北へ逃れるほかない。そこを四方から包囲し、烏江でも伏兵で待ち構えれば、必ず捕らえられる」と説明し、道順まで詳細に指示した。王陵らはその周到さに感服した。

樊噲への大任

諸将への配置が終わった後、樊噲が自分だけ任務がないことに不満を述べると、韓信は「九里山の高台で三千の精兵を率い、大旗(夜は提灯)を掲げて三軍の方向を指揮する要の役目」を託した。樊噲はこれを引き受け、諸将と共に固陵へ進発した。

霸王の出陣

霸王は季布らと協議し、軍を六隊に分けて進発させ、自ら二十余万を率いて鍾離昧・周蘭に護衛させ、虞子期に中軍を守らせた。霸王は陣前で漢王に決戦を挑み、漢王も甲冑を整えて陣前に立った。両軍の対決の行方は次回に語られる。