西漢演義第七十九回 周蘭は覇王を諫め出師させる (周蘭諫霸王出師)
漢軍、九里山に布陣
大漢五年八月、漢王の大軍は成皋を出発、韓信を大元帥として進撃した。先鋒の孔熙・陳賀は民を犯さず、郡県は次々と帰順した。大軍は九里山に達し、数百里にわたり陣を張った。漢王は二将を労い、蕭何に糧食の調達を命じ、彭城の情勢を探る細作を放った。
霸王の激怒と諫言
彭城の細作から漢軍布陣の報を受けた霸王は激怒し、直ちに出兵しようとした。季布・周蘭は「韓信は詭計に長ける。怒りに任せて動けば計に嵌まる」と諫めたが、霸王は面目を気にして聞き入れなかった。周蘭は重ねて「深溝高塁で守りを固め、諸侯の援兵と会稽の糧を調達し、持久すれば漢軍は疲弊する。その時に迎え撃てば勝てる」と説いたが、霸王は決断がつかず虞姫に相談した。虞姫も周蘭の策に理があると賛同したが、翌日の群臣会議で李左車が「彭城に籠れば漢軍に攻め込まれる恐れがある。むしろ今こそ出撃すべき」と主張し、霸王はこれに従うことにした。
不吉な予兆と虞姫の書
出兵の途中、大風で軍旗が折れ、乗馬の烏騅が長嘶するという凶兆が続いた。周蘭・項伯ら群臣は霸王を引き止め、虞姫も自筆の書で「古来、諫言に従って治を成した帝王は多い。天の警告と思い、退くべき」と諭した。霸王が躊躇いかけたところ、李左車が「漢軍は兵糧が乏しく崩れかけている」と偽りの情報を告げ、霸王は再び進軍を決意、軍はすでに引き返せぬ距離まで進んでいた。
李左車の逃亡と項伯の失態
沛郡近くに陣を張った霸王は偵察の報から、漢軍・韓信軍ともに撤退の気配なしと知る。左車を呼ぶと既に姿を消しており、詐降を見抜けなかった項伯を厳しく責めた。周蘭らのとりなしで項伯は免職となり、周蘭らが重賞された。虞姫は「今さら悔いても仕方ない。奮って出戦し、諸将と力を合わせて凱歌を挙げるべき」と励ました。
楚軍の布陣
霸王は諸将に、鍾離昧を左哨、季布を右哨、桓楚を前部、虞子期を後応に配し、「漢軍の兵糧が尽きるまでの一月を凌げば勝てる」と方針を示した。
韓信、詐降者から情報を得る
一方、韓信は各軍を厳格に配置して楚軍を待ち構えていたところ、李左車が漢営に戻り、詐降により得た霸王軍の実情を報告した。韓信は「先生のおかげで項王をここまで誘い出せた。あとはさらに深く誘い込む策が要る」と問い、左車が策を語ろうとするところで回は結ばれる。