西漢演義第67回 楚の覇王は再び外黄を取る (楚霸王復取外黃)

王陵の撤退と外黄への進軍

霸王が成皋を離れると、彭城を攻めていた王陵は退却する。霸王は彭越が梁地十七城を奪い外黄で略奪を働いていることを知り、激しい怒りとともに親征を決める。

彭越の撤退策

彭越は霸王の大軍が来ることを知り、正面衝突を避け北の谷城・昌邑を奪って根拠地とする策を選ぶ。守将周菹・仇明に外黄を任せ、密かに撤退する。仇明の子・仇叔(十三歳)が「城が破られたら自分が説得する」と申し出る。彭越は北へ抜け、昌邑周辺の二十余城を得て軍糧を漢に届ける。

外黄の危機と幼童の説得

外黄に着いた霸王は抵抗が続いたため激怒し、開城後も十五歳以上の男子を皆生き埋めにすると宣言する。仇叔は霸王に単身謁見し、「民を愛する者は民に愛され、民を害する者は民に憎まれる」と説き、民を殺せば東方の諸城が皆抵抗するか逃亡し天下の支持を失うと諭す。霸王はこれに感心し、殺戮を取りやめ、周菹・仇明も赦す。

成皋・滎陽の攻防

霸王は梁地平定後、鍾離眜に滎陽攻略を、自らは成皋救援に向かう。成皋では漢が挑発策を用いて曹咎を城外へ誘い出し、汜水で漢の四将(周勃・周昌・呂馬童・灌嬰)に包囲され、曹咎は自刎する。漢王は成皋を回復し、さらに英布・陳同の来援を得てこれに成皋守備を任せ、自らは滎陽奪還に向かう。