西漢演義第二十五回 項羽は約束に背き王号を僭称する (項羽違約僭王號)
咸陽の虐殺と范増の諫止
- 范増は「無実の民を殺せば天の異変を招く」と必死に諫めるが、項羽は聞かず、秦の公子・宗族八百余人、官民四千六百余人を殺し、なお市中の民を皆殺しにしようとするところを范増が身を挺して止め、ようやく兵を収めさせた。項羽は秦の宮殿を見て「これほどの富貴を保てなかったか」と嘆く。
西楚覇王の僭称
- 項羽は関中の王を望むが、懐王に使いを送って認可を求めたところ「先に入関した者を王とする」との前約を守るよう拒まれ、激怒する。
- 張良が五帝・三王・五覇の由来を説くと、項羽は「西楚覇王」を自称することに決め、范増の反対を退けて楚地九郡の王となり、彭城を都とし、懐王は名目上「義帝」として江南へ遷した。
始皇陵の発掘計画
- 秦の府庫が空であることを知った項羽は、張良の話から始皇陵に財宝が眠ると知り、これを暴くべく大軍を差し向けることを決める。