三國志卷六十一 吳書十六 潘濬

潘濬

  • 字承明、武陵漢寿の人。宋仲子に学び、荊州牧劉表の部江夏従事となる。沙羨長の不正を摘発処刑し、湘郷令として治績を挙げた。劉備が荊州を領した際は治中従事となり、劉備の入蜀後は留守の荊州事務を任された。
  • 孫権が関羽を討ち荆州を得た際、当初仕官を拒み病と称したが、孫権自ら訪ねて説得し治中に任命、荆州の軍事全般を諮問される立場となった。武陵部従事樊伷の反乱を、孫権の懸念に対し「五千の兵で十分」との的確な人物評価により迅速に鎮圧。奮威将軍・常遷亭侯。
  • 孫権の即位で少府、劉陽侯に進封。孫権の雉狩りを諫めて自制させた逸話。太常となり、五谿蛮夷の反乱を鎮圧(斬獲万余)。
  • 校事呂壱が権勢を振るい丞相顧雍・左将軍朱据らを弾劾した際、潘濬が呂壱誅殺を決意し百官を集めて自ら手を下そうとしたところ、呂壱がこれを察知して出仕を避けた。潘濬の度重なる弾劾により呂壱は寵を失い、後に誅殺された。孫権はこれを機に自らの過ちを大臣たちに認めた。
  • 赤烏二年(239年)没、子の潘翥が跡を継ぐ。娘は建昌侯孫慮に嫁いだ。