三國志卷四十二 蜀書十二 李譔

多才の学者

  • 李譔、字は欽仲、梓潼涪の人。父の仁(字德賢)は同県の尹默と共に荊州に遊学し司馬徽・宋忠らに学んだ。譔はその学業を継ぎ、義理を講論し五経・諸子に通暁しないものはなく、算術・卜数・医薬・弓弩・機械の技巧にも思いを致した。初め州の書佐・尚書令史となった。延熙元年(238年)、後主が太子を立てると譔は庶子となり、僕射に昇進、中散大夫・右中郎将に転じ太子に侍した。太子は譔の博識を愛したが、譔は軽薄で戯れを好み世には重んじられなかった。古文の『易』『尚書』『毛詩』『三礼』『左氏伝』『太玄指帰』を著し、いずれも賈逵・馬融に依拠し鄭玄と異なる説であったが、実際には鄭玄の説を未見のまま多くが自然に一致したという。景耀年間(258〜263年)に没した。

陳術(附)

  • 当時また漢中の陳術(字申伯)も博学で知られ、『釈部』七篇・『益部耆旧伝』・『志』を著し、三郡の太守を歴任した。