相術
- 朱建平は沛国の人。人相見の術に優れ、多くの的中例があった。太祖が魏公となった頃、召されて郎となった。
- 文帝が五官中郎将であった頃の宴席で、朱建平は「将軍(文帝)は寿命八十、四十歳の頃に小さな厄がある」と述べ、夏侯威には「四十九歳で州牧となるが厄がある、乗り越えれば七十まで生き三公に至る」、応璩には「六十二歳で常伯となるが厄があり、その前年に一匹の白犬を独り見る」、曹彪には「藩国を治め五十七歳で兵乱の厄に遭う」と告げた。
- 荀攸と鍾繇の逸話:荀攸が早世した際、鍾繇は生前の朱建平の予言(荀攸が後事を鍾繇に託すという占い)を書簡に記し、その通りになったと感嘆した。
- 文帝は黄初七年、四十歳で病篤くなった際「建平の言う八十歳とは昼夜を分けた数え方だったのだ」と悟り、まもなく崩じた。夏侯威は兗州刺史として四十九歳の年末に病んで遺言を準備したが一時回復、宴を開いて安堵した直後に急死した。応璩は六十一歳で白犬の幻を見て以後、遊興にふけり六十三歳で死んだ。曹彪は楚王として五十七歳の時、王淩の謀反に連座して死を賜った。
- 司空・王昶、征北将軍・程喜、中領軍・王粛には的中しなかった例もあり、王粛は「建平は私の寿命を七十過ぎ・位は三公までと相したが、今はまだそこまで達していない」と言いつつ病死した。
- 馬相術にも通じ、文帝が乗ろうとした馬について「今日死ぬ相」と予言、馬が香を嫌って文帝の膝を噛んだため怒って殺され、その通りとなった。朱建平は黄初年間に死んだ。