三國志卷十七 張樂于張徐傳第十七 樂進
累戦の功
- 楽進、字は文謙。陽平衞国の人。容貌は短小だが膽烈で太祖の帳下吏となり、募兵で千余を得た。呂布・張超・橋蕤討伐で先登の功を重ね広昌亭侯。張繡・呂布・眭固・劉備討伐にも従い討寇校尉。官渡では淳于瓊を斬り、袁譚・袁尚討伐で厳敬を斬り遊撃将軍を行う。黄巾討伐、鄴攻囲、袁譚討伐(南皮先登)、雍奴攻略と転戦した。
- 建安十一年、太祖は献帝に上表し進・于禁・張遼の武勇と統率力を称え、各々虎威(禁)・折衝(進)・蕩寇(遼)将軍とした。
荊州方面での活躍と最期
- 高幹討伐、管承討伐、荊州平定後の襄陽守備で関羽・蘇非らを撃退、南郡の山谷蛮夷を降し、劉備配下の杜普・梁大も破った。孫権討伐にも従い節を仮された。太祖は進・張遼・李典に合肥を任せ邑を増し(凡千二百戸)、右将軍に遷った。建安二十三年(218年)薨じ威侯と諡された。子綝が嗣ぎ揚州刺史に至ったが諸葛誕の反乱で殺され愍侯と追諡、子肇が嗣いだ。