三國志卷十二 崔毛徐何邢鮑司馬傳第十二 邢顒
邢顒
- 邢顒、字は子昂。河間鄚の人。田疇に従い姓名を変えて隠棲したが、太祖の冀州平定を見て「乱極まれば治まる」と自ら帰服を進言、烏丸征討の郷導となった。冀州従事として「德行堂堂邢子昂」と称された。旧主の喪に服したことを咎められず、太祖に「篤実な節義」と評された。
- 平原侯曹植の家丞として厳格に規律を保ち植との折り合いは悪かったが、劉楨の諫書もその公正さを裏付ける。太子選定では「庶子を立てるのは古の戒め」と太祖に進言、太子少傅・太傅を歴任。文帝即位後は侍中尚書僕射・司隷校尉・太常を歴任し黄初四年に薨去した。