三國演義第十回 王室に勤めんと馬騰は義兵を挙げ、父の仇を報いんと曹操は軍を興す (勤王室馬騰舉義 報父讎曹操興師)
李傕・郭汜の専横
献帝殺害を思いとどまった李傕・郭汜は、自ら高位を要求して政権を握る。董卓の遺骸を丁重に改葬しようとするが、雷雨で棺が壊れることが三度も続き、結局葬れないという天罰的な出来事が起こる。二人は暴政を敷き、朝廷人事も意のままにする。
馬騰・韓遂の挙兵
西涼太守馬騰と韓遂が朝廷の密詔を受け十余万の兵で長安を攻める。馬騰の子、若き馬超(字孟起、十七歳)が初陣で王方・李蒙を討ち取る活躍を見せる。しかし賈詡の籠城策により西涼軍は兵糧が尽きて撤退、内応も露見して関係者は処刑される。撤退戦で樊稠は同郷の韓遂を見逃すが、これが後に李傕の疑いを招き、宴席で謀反の疑いをかけられて誅殺される。
曹操の台頭
李傕・郭汜は朱雋の推薦で曹操に青州黄巾の討伐を命じる。曹操はこれを鎮圧し、精鋭を「青州兵」として編成、勢力を大きく伸ばす。荀彧・荀攸・程昱・郭嘉・劉曄・満寵・呂虔・毛玠・于禁・典韋ら多くの人材が続々と参集し、曹操軍は文武ともに充実していく。
曹嵩殺害事件
曹操が父曹嵩を瑯琊から迎えようとした際、徐州の陶謙が厚遇して護送の兵をつけるが、護送を任された部将張闓が元黄巾の残党で、大雨の夜に曹嵩一族を惨殺し財宝を奪って逃亡する(詩:因果応報を示唆する内容)。
曹操の報復と徐州侵攻
父の死を知った曹操は激怒し、陶謙への復讐を誓って徐州へ大軍を進め、行く先々で民衆を虐殺する。陳宮が陶謙の無実を訴えに来るが曹操は聞き入れず、陳宮は絶望して張邈のもとへ去る。陶謙は迎撃するが、暴風により両軍とも兵を収める。陶謙は自ら曹操の陣に赴いて城下の民を救おうとするが、家臣が「策がある」と申し出る。
評語
なし