三朝北盟會編炎興下帙 紹興三十一年 1161年

十月二十七日丙寅 将士への戒飭詔と李宝の陳家島大勝

  • 高宗は連戦連勝に驕らず備えを厳にするよう将士を戒める詔を発した。
  • 淮南で活動していた李宝の水軍は、山東の義勇軍(劉㞯彪・王世隆・趙開ら)と連携しつつ膠西県唐島付近で金の水軍(兵部尚書右副元帥蘇保衡率いる船団、渤海・大漢軍・水手合わせて七万余)と対峙した。
  • 十月二十七日、李宝は風向きの好転を待って火攻めを敢行、油絹の帆を用いていた金船は瞬く間に炎上し、数万の兵が焼死・溺死した。金の副都統・総管クラスを含む多数を捕虜とし、金の水軍はほぼ壊滅した(陳家島の海戦)。この勝利により、完顔亮が計画していた海路からの浙江侵攻の道は絶たれた。

その他の動き

  • 二十八日、鎮江府通判陸謙之が職務怠慢(会計検査への出頭遅延)を理由に罷免された。
  • 二十九日、江南の官員張子顔・韓彦古らが私財の米・銭を軍需に献納した。
  • 太学生程宏図が上書し、先の宋芑の上書と同様、金使の抑留、哀痛の詔の発布、秦檜断罪と岳飛・趙鼎の名誉回復、張浚・胡銓・張燾・辛次膺ら人望ある人物の登用、先制攻撃の断行などを説き、和議に安住した秦檜政治の弊害を厳しく批判した。財政難や兵力の弱さを憂う声に対しては、学校など冗費を削れば財源は確保できるとし、親征を断行すべきだと強く訴えた。