二十六日戊申 王庶、和議文書への署名免除を乞う
- 樞密副使王庶は、自らかねて和議に反対してきた立場から、和議文書に署名する任にふさわしくないとして罷免、または署名の免除を願い出た。楚の子西が「能わざれば辞す」と述べた故事や、唐の徳宗が渾瑊・馬燧・李晟の三名将を用いて吐蕃を退けた故事を引き、自分は用兵にのみ長じ和議には向かないと訴えたが、皇帝は御筆で辞退を許さなかった。
台諫人事の偏りと張燾の抗議
- 施廷臣が殿中侍御史となった。勾龍如淵の献策により反対派を排除する目的で、和議を支持する官僚(施廷臣・沈該・莫将ら)が相次いで要職に抜擢されたことに縉紳は驚愕した。兵部侍郎張燾は、寺丞から起居舎人に躍進した莫将の例などを挙げ、こうした人事が国家の紀綱を乱すと痛烈に批判する上疏を提出。王倫についても、彼の言うことは矛盾に満ちており信用できないと改めて論じた。
二十九日辛亥 范如珪、秦檜に和議を責める書
- 史館校勘范如珪は秦檜に書簡を送り、春秋の義(父母の讐とは共に天を戴かず)を引きつつ、徽宗・顕肅皇后の崩御の報を受けてなお金への復讐を誓わず梓宮返還のみを乞う姿勢を批判した。金がこれまで繰り返し盟約を破ってきた五つの前例(契丹討伐後の背信、太原再包囲、無休の侵攻、二帝拉致、劉豫廃立)を列挙し、金の和議は信じるに値しないと論じた。
- 秦檜が屈膝の礼を受け入れれば、宋の君臣は金の正朔を奉じる立場に転落し、梓宮も母后も帰る場所を失うと警告し、漢高祖が項羽に太公を人質に取られても屈しなかった故事、晋の恵公帰還の故事を引いて、力を蓄えつつ機を見るべきと説いた。
- 士大夫・軍民がこぞって王倫を憎み、秦檜への怨嗟の声も高まっていると指摘し、秦檜が名節を汚し天下の怨みを一身に集めることを深く憂慮すると結んだ。