三朝北盟會編 炎興下帙 高宗 紹興十一年 十二月二十九日癸巳 1141年

林泉野記(岳飛の生涯・別伝)

  • 「林泉野記」の記す岳飛伝の要旨。岳飛は相州の人で韓魏公家の佃戸であったが、靖康末に張所の招討軍に投じ、王彦の下で金軍と戦い功を挙げたが、王彦に疑われて離反し杜充配下となった。京城陥落後、扈成・戚方らの反乱を鎮圧し、宜興の民を守った。
  • 通泰招撫使として李成を破り、以後、湖賊楊么の乱を平定するなど各地で戦功を重ねた経緯が、任士安の失策と岳飛による立て直し、水攻めによる楊么勢力の掃討まで詳しく語られる。
  • 劉豫の偽斉軍との戦い、潁昌・郾城での烏珠軍撃破、秦檜の和議路線との対立、張憲・岳雲の逮捕と岳飛自身の下獄、万俟禼による取り調べを経て斬に処された経緯が総括され、享年三十九、天下の人がその死を寃罪と見なしたと結ばれる。

金の元帥からの書状(第四書)と朝廷の返書

  • 金の元帥から届いた書状(第四書)は、宋が提出した誓表を了承しつつ、送還すべき北人の人数がなお不足していること、唐鄧二州の交割の予定、陝西の境界画定の手続きなどを求める内容であった。
  • 朝廷の返書は、送還可能な北人を順次引き渡すこと、唐鄧二州の交割官をすでに派遣したこと、陝西境界の画定にも応じる意向を伝えるものであった。この頃、金は皇統と改元した。