三朝北盟會編 四庫全書提要

撰者と成立の経緯

  • 『三朝北盟會編』二百五十巻は、宋の徐夢莘(あざな商老、臨江の人)の撰。紹興二十四年(1154年)進士となり、南安軍教授・湘陰県知事を歴任し、賓州知事を最後に塩法をめぐる意見の不一致で罷免され帰郷した。
  • 学問を好み博聞で著述が多く、靖康の変(1126年)に生を受けたことから事の顛末を究めたいと願い、旧聞を網羅・集成してこの書を編んだ。
  • 政和七年(1117年)の海上の盟から紹興三十一年(1161年)まで、四十五年間にわたる勅制・誥詔・国書・書疏・奏議・記序・碑志の類を漏れなく収録した。皇帝はこれを聞いて称賛し、直秘省に抜擢したという。

書物の構成

  • 現存の写本は上・中・下の三帙に分かれる。上帙は政宣(二十五巻)、中帙は靖康(七十五巻)、下帙は炎興(百五十巻)。年月の起訖は正史の記述と一致する。
  • 引用書は雑攷・私書八十四種、金国の記録十種を含め計百九十六種に及び、文集の類は含まれていないため、正史が言及する以上の情報量を持つ。
  • 宋金の和戦にかかわる事跡を、年を経糸・月を緯糸として日付順に配列し、引用は原文をそのまま採り、取捨や論断を加えない。是非の異説をともに残し、史家の採択に備える体裁のため「会編」と名づけられた。

評価と限界

  • 汴京陥落から南渡・立国に至る治乱得失は、文を辿り証を考え事を比べて求めれば、すでにその然る所以を見て取れる。単なる瑣末の寄せ集めではない。
  • 当時の説部(俗説の類)は雑駁で、金人の事跡の記述はしばしば伝聞に基づき事実と異なる。また当時の臣下の上奏文にも誇張で根拠に乏しいものが多いが、夢莘はこれらを全文のまま収め、取捨選択を加えていない。
  • とはいえ博く詳しく南宋の諸野史の中でも、李心伝『繋年要録』を除けば匹敵するものはなく、繁雑さを理由に貶められるべきではない。

続編について

  • 夢莘はこの書の完成後、前著で載せきれなかった内容を五家の続編としてまとめ、中・下帙に補い、靖康・炎興それぞれ二十五巻とし『北盟集補』と名づけた。
  • しかし現存本にはこれが含まれておらず、当時二本が別々に流布したため、一方が久しく散逸したものと思われる。
  • 乾隆四十六年(1781年)四月、恭しく校訂を終えた。総纂官は紀昀・陸錫熊・孫士毅、総校官は陸費墀である。