出自と人となり
- 蕭眎素、蘭陵の人。祖父の蕭思話は宋の征西儀同三司、父の蕭恵明は呉興太守で、いずれも高名であった。眎素は早くに父を失い貧しく、叔父の蕭恵休に養われた。斉の司徒法曹行参軍に起家し、著作佐郎・太子舎人・尚書三公郎に遷り、永元末に太子洗馬となった。
梁朝での歴任と隠棲
- 梁台建立後、高祖に引かれて中尉驃騎記室参軍となり、天監初年には臨川王友・太子中舎人・丹陽尹丞を歴任した。拝任の際、高祖から銭八万を賜ったが、眎素は一朝でこれを親友に分け散じた。司徒左西属・南徐州治中に遷る。性格は静退で欲少なく、学を好み清言に長け、栄利は口にせず喜怒は顔に表さなかった。人と交わるにも在職中にも自然のままで、驕らず率直で天然の簡素さがあり、士人はみな敬った。
- 京口にあった頃から隠棲の志を持ち、摂山に室を築いた。中書侍郎に徴されたが辞して赴かず、山宅に還って独居し、親戚以外は籬門に入れなかった。妻は太尉王儉の娘で、久しく別居し子はなかった。天監八年に卒す。親故がその行いを追い、諡して「貞文先生」とした。
史論
- 史臣曰く、顧憲之と陶季直は寿を全うして退いた者であり、蕭眎素は仕官への意欲が薄かった者である。禄を懐き寵に躭って人の世に浮沈する者たちに比べれば、はるかに隔たりがある。