梁書卷五十一 列傳第四十五 諸葛璩

諸葛璩(幼玟)

  • 諸葛璩は字を幼玟といい、琅邪陽都の人で代々京口に住んだ。幼くして徴士の関康之に師事して経史を学び、さらに徴士の臧栄緒に師事した。栄緒は『晋書』を著すにあたり璩の校訂の功を称え「壺遂(司馬遷の協力者)に比すべき」と評した。
  • 齊の建武初め、南徐州行事の江祀が璩を明帝に推薦し「璩は貧に安んじて道を守り、礼を悦び詩を篤くし、諸侯に名刺を出したこともなく、清廉で退嬰の姿勢は風俗を励ますに足る」として議曹従事に召そうとしたが、璩は辞退した。
  • 陳郡の謝朓が東海太守として発した教書では、長孫東組(後漢の高士)や孔融(文挙)の高徳の故事を引き、璩の高風が世を励ますに足るとし、母の孝養のために5秉(禄)を贈り穀百斛を給した。
  • 天監中、太守の蕭琛、刺史の安成王秀・鄱陽王恢がいずれも璩を厚く礼遇した。璩は母の喪に服して痩せ衰え、恢がたびたび見舞った。喪が明けて秀才に推されたが応じなかった。璩は後進の教育に努め、学びに来る者が日々増えたため、住まいが手狭になり太守の張友が講舎を建ててやった。璩は清正で妻子にも喜怒を見せず日々講義に励んだため、人々はますますこれを慕った。
  • 天監7年(508年)高祖が太守の王份に問い合わせ、王份は実情を答えたが、登用される前にその年のうちに没した。璩の著した文章20巻は門人の劉曒が集めて編纂した。