梁書卷三十九 列𫝊第三十三 羊鴉仁

経歴

  • 羊鴉仁、字は孝穆。泰山鉅平の人。若くして勇猛果敢で胆力があり、郡に仕えて主簿となった。普通年間(520年代)兄弟を率いて魏から梁に帰順し、広晋県侯に封じられ、青齊の間の征伐でしばしば功を挙げ、員外散騎常侍・歴陽太守に遷った。
  • 中大通四年(532年)持節都督譙州諸軍事・信威将軍・譙州刺史となり、大同七年(541年)太子左衛率に除せられ、持節都督南北司豫楚四州諸軍事・軽車将軍・北司州刺史として出た。
  • 侯景が降ると、詔により鴉仁は士州刺史桓和之・仁州刺史湛海珍らの精兵三万を督し悬瓠に赴いて景を迎え入れ、都督豫司淮冀殷応西豫等七州諸軍事・司豫二州刺史として悬瓠に鎮した。侯景が渦陽で敗れ魏軍が迫ると、鴉仁は糧運が続かぬことを恐れ北司へ引き返し、上表して謝罪したが、高祖は大いに怒って責めた。鴉仁は恐れをなし、さらに淮上に軍を留めた。
  • 侯景が反すると鴉仁は所部を率いて援軍に赴いた。太清二年(548年)景が盟約を破ると、鴉仁は趙伯超・南康王会理とともに東府城で賊を攻めたが、かえって賊に敗れた。台城が陥落すると鴉仁は景に会い、景の下に留められて五兵尚書とされた。
  • 鴉仁は常に奮起を思い、親しい者に語った。「私は凡庸な身で寵愛を受けながら、朝廷にその重恩に報いることができず、社稷が傾き危うくなっても自ら死ぬこともできず、今日まで生き永らえてしまった。このまま終われば無念が残る」。そう述べては涙を流し、それを見る者はみな心を痛めた。
  • 太清三年(549年)江陵へ出奔しようとし、かつての部曲数百人が迎えに来たが、江陵へ向かう途中、東莞で、かつて北徐州刺史であった荀伯道の子たちに殺害された。

史論

  • 史臣は次のように述べる。高祖(梁武帝)が天命を革め帝位を受け継ぎ、王運の盛んな時に恵まれると、その威徳を慕って帰順する者は絶えず、みな危難に身を投じて相次いだ。元法僧の一党が帰順した後は恩遇を受け、位は重く任は隆く栄華を極めた。
  • 一方、羊侃・羊鴉仁は太清の難に遭い、ともに忠誠を尽くして国に奉じた。侃は危難に臨んで屈せず、鴉仁は義を守って命を落とした。その志は松や竹に等しく、心は鉄石のごとしと言うべきであり、古の殉節とはまさにこのことをいうのであろう。