梁書卷三十九 列𫝊第三十三 王神念

経歴

  • 王神念、太原祁の人。若くして儒術を好み、とりわけ仏典に通じていた。魏に仕えて州主簿から起こり、潁川太守に遷ったが、郡を挙げて帰順し、魏軍が来ると一族を率いて長江を渡った。
  • 南城県侯(邑五百戸)に封じられ、まもなく安成内史を除せられ、さらに武陽・宣城の内史を歴任し、いずれも治績を挙げた。太僕卿に還任し、持節都督青冀二州諸軍事・信武将軍・青冀二州刺史として出た。
  • 神念は性格が剛正で、任地では必ず淫祠を禁じた。青冀州の東北にある石鹿山臨海には旧来の神廟があり、妖しい巫が民を惑わして遠近から祈祷が集まり出費が甚だしかったが、神念が至るとこれを取り壊させ、風俗を改めさせた。
  • 普通年間(520年代)の大規模な北伐に際して右衛将軍に召され、普通六年(525年)使持節・散騎常侍・爪牙将軍に遷り、右衛はもとのままとした。病を得て卒した。享年七十五。詔により本官のほか衡州刺史を追贈され、鼓吹一部を給わり、諡は壮。
  • 神念は若い頃から騎射に優れ、老いても衰えず、かつて高祖の前で両手に刀楯を執り、左右に馬を交差させて駆け巡り、並ぶ者のない技を見せた。当時、楊華という者も驚くべき騎馬の技を持ち、二人とも卓抜であったため高祖は深く感嘆した。
  • 子の尊業は太僕卿に至って卒し、信威将軍・青冀二州刺史・鼓吹一部を追贈された。次子の僧辯は別に伝がある。

楊華――経歴(附伝)

  • 楊華、武都仇池の人。父の大眼は魏の名将であった。華は若くして勇力があり、容貌は雄偉であった。魏の胡太后に迫られて通じたため、華は禍が及ぶことを恐れ、部曲を率いて梁に降った。
  • 胡太后は華を思い続けてやまず、楊白華の歌を作らせ、宮人に昼夜手をつないで足を踏み鳴らして歌わせた。その歌辞は非常に哀切であった。
  • 華はのちも幾度も征伐に加わって戦功を立て、太僕卿・太子左衛率を歴任し、益陽県侯に封じられた。太清年間(547〜549年)侯景の乱で節義を守ろうとしたが、妻子を賊に捕らえられ、ついに降ったのち賊のもとで卒した。