梁書卷二十九 列傳第二十三 廬陵威王續
廬陵威王續は字を世訢といい、高祖(武帝)の第五子。若くして英果で膂力に優れ馳射を得意とし、高祖に「我が任城(曹彰)である」と称された武人肌の皇子。南徐州・江州・雍州・荆州の刺史を歴任し、中大同二年(547年)、荆州の任地で薨去。時に44歳。諡は威。
年表(13件)
- 天監8年509年廬陵郡王に封じられ食邑2000戸を与えられる
- 天監10年511年輕車將軍・南彭城琅邪太守となる
- 天監13年514年會稽太守となる
- 天監16年517年都督江州諸軍事・雲麾將軍・江州刺史となる
- 普通元年520年宣毅將軍・領石頭戍軍事として召される
- 普通3年522年使持節・都督南徐梁秦沙四州諸軍事・南徐州刺史となる
- 普通7年526年宣毅將軍を加えられる
- 中大通3年531年使持節・都督雍梁秦沙四州諸軍事・雍州刺史となる
- 中大通4年532年安北將軍に遷る
- 大同元年535年使持節・都督江州諸軍事・安南將軍・江州刺史となる
- 大同3年537年護軍將軍・領石頭戍軍事となる
- 大同5年539年驃騎將軍・開府儀同三司を経て荆州刺史となる
- 中大同2年547年任地の荆州で薨去。時に44歳、諡は威
出自と武人としての気質
- 廬陵威王續は字を世訢といい、高祖の第五子である。天監8年(509年)廬陵郡王に封じられ食邑2000戸、10年(511年)輕車將軍・南彭城琅邪太守、13年(514年)會稽太守、16年(517年)都督江州諸軍事・雲麾將軍・江州刺史となり、普通元年(520年)宣毅將軍・領石頭戍軍事として召された。
- 續は若くして英果で膂力抜群、馳射・遊猟に優れ、高祖は「これぞ我が任城(曹彰)である」と称した。かつて臨賀王正徳・胡貴通・趙伯超らと高祖の前で馳射を競い續が第一となり、高祖は大いに喜んだ。
歴任と最期
- 普通3年(522年)使持節・都督南徐梁秦沙四州諸軍事・西中郞將・南徐州刺史、7年(526年)宣毅將軍を加える。中大通3年(531年)使持節・都督雍梁秦沙四州諸軍事・平北將軍・寧蠻校尉・雍州刺史、鼓吹一部を給される。續は馬仗を多く蓄え驍勇の兵を養い、財貨も充実していた。
- 中大通4年(532年)安北將軍に遷り、大同元年(535年)使持節・都督江州諸軍事・安南將軍・江州刺史、3年(537年)護軍將軍・領石頭戍軍事、5年(539年)驃騎將軍・開府儀同三司を経て使持節・都督荆郢司雍西北秦梁巴華九州諸軍事・荆州刺史となる。
- 中大同2年(547年)任地の荆州で薨去、時に44歳。司空・散騎常侍・驃騎大將軍・鼓吹一部を贈られ、諡は威。長子の安が嗣いだ。