遼史卷一百十三 列傳第四十三 迪里

策謀と最期

迪里、字は烏納。六院額爾竒木卓巴勒の子。幼くして狡猾であった。世宗即位後、群牧都林牙となった。察克の乱の際、多くの官僚が捕らわれ、夀安王と耶律烏哲が兵を率いて討伐に来ると、諸党は次第に引き上げていった。察克は事が成らないと悟り、囚われの場所に赴き弓矢を手に「この者たちを皆殺しにせよ」と脅したが、迪里は「殺して何の益がありましょう。私が推測するに烏哲は夀安王を立てようとしているはずですが、夀安王自身は必ずしもこれを知りません。人を遣わしてこれを口実とすれば免れられましょう」と進言した。察克が「その通りだ、誰を使者にすべきか」と問うと、迪里は「大王が私を疑わなければ、雅斯哈とともに参ります」と申し出て、察克はこれを遣わした。夀安王は迪里の計を用いて察克を誘い殺し、脅されていた者たちは一人も害されなかった。すべて迪里の功であった。乱平定後、帝はこれを賞したが顕職には用いず、迪里は失望して次第に不満分子と結託した。応暦二年、その党とともに隆科擁立を企てたことが発覚し、凌遅刑で死んだ。